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何のために生きてるかなんて考えない

今日も晴れているけれど、図書館で過ごしてる。

外を気持ちよく澄み切った気持ちで歩いてはいけないような?


もうすぐしたら犬くんのお散歩に行こう。

娘の家で待っているだろうから。


よく考えれば、犬くんの人生は人間に比べればめちゃくちゃ短い年数なのに、
精一杯生きてるんだな。

損得なんか計算して無いのだろうな。

人間のために、移動したり。

文句も言わず、家族のために笑い続けて、

気付けばたったの13年で老人になっているのだから。


戦地へ人間のために一緒に歩き続ける犬の写真を何度か観た。

彼らは、人間のために命を落としてしまう事だってあるのだ。



そもそも、人間が戦争をしなければそんな犬達はいなかっただろう。


"何のために生まれてきたのだろう?"

そんな事を考えたりしないのかもしれない。

純粋で、無垢で、心の綺麗な生物なのだなって思う。


褒められる事を心から純粋に喜んでくれる。


私には無いものをたくさん持っている犬くん。


見習おう。


何のために生きてるかなんて、考える必要は無いのだ。


生きていれば、必然的に出来事が何かしらあるのだ。

仮に、病気で一歩もベッドから出れない人がいたとしても、

何らかの理由で、私のように家を失って職を失い、お金が一銭もなくなったとしても、

それは、全て、

生きてるから起きた事。


嘆く事は、自分が悲しくなるだけだ。


自分が生まれた事、存在している事、

何もかも、必然的だったのだよ。
きっと。

誰かを恨む事もなく、自分を責める事もなく、

生きてさえいれば、きっと最期があるはず。

最期がいつ?かなんて、考える事もやめよう。

今日が終われたら、"○" としようじゃないの。

明日を迎えていたら、"ハナマル"としようじゃないの。

ね。

アスペルガー

昨日受けた会社は不採用だった。

社内面接の担当の女性を一目見た瞬間、「ぁ、私、ここは無理」って思いながら面接を受けてしまった。

いかにも、私、仕事出来ます的なタイプの女性で、人を上から見下ろすような印象の女性。

仮に、採用決定だったとしても、1ヶ月もって良いほうだったと思う。


ああいう女性が私はもっとも苦手だ。


若くして、学歴有り、キャリアあり、仕事出来て、人との交流も多く、世渡り上手な女性。

憧れた時もあったけど、私はなりたくないなって正直な気持ちがある。


帰り道に思って歩いていたのだけれど、

ベンチャー企業って、CEOを見れば大体のその社内の印象ってわかるんじゃないかな。


どれだけ急成長したとしても、あるところで停滞する日がやがてくるって感じた。


私の頭の中の整理にまた役立った面接だったと思う。


私は、物事を整理する事も、端的に言葉を話すのも苦手。

そして、焦る。

いろんなタイプの人間がいるって凄く素敵だって思うんだよね。

私の本音を言えば、仕事をはやく決めて、お金をゲットしなくちゃ。なんだけど、

何度も何度も職場で、嫌な思いをしたり、凹んだり、イライラしたりするのって疲れる。


出来れば、自分の心が疲れないで、収入はそこまで多くなくて良いから
精神的に、安定して日々過ごせる「楽」さを今は選びたいな。


むしろ今こそ、その「楽」を私は選ぶべきなのかもしれない。

不採用になった事で、少し、気持ちが楽になった。

アスペルガーの障害をもっていて、社長になった女性の本をパラパラと読んだ。

きっと、その女性にも多くの経験があると思う。

自分のことをわかってほしい、そう思うと同時に、相手もそう思っているのだろうなって
考えられるくらいの気持ちに余裕を持って、何かまだわからないけど、前に進もうと思う。

私には、会社を設立することなど考えただけで上を向いたまま後ろに倒れてしまいそうだけれど、

きっと、「方向」はどこかしらにあるのだと思う。

ネガティブや後ろ向きになったり、泣いてばっかりで毎日疲れてしまうよりも、

失うものなど無い私は、強いのだって思えるようになれるといいな。


私にしか無いもの、出来ないこと、思い浮かばないこと、歩ける方法、
それで良いんじゃないかな。

周囲を見て、足並みを揃えようとしても、同じようにしようとしても、出来ないのは「私」だからなんだ。


"それで、良いんだよ。" って,少しだけ思える自分が今日はいます。



いやいや、ホームレスになっているのに、呑気すぎるよ、能天気すぎると言われるかも?

ただ、これが「私」なのだと実は思える。 

明日は、どうなっているか?そんなことが想像もつかない。

計画をたてたところで、そのようにいかないのだから。

それならば、計画なんか、無計画で行こう。

"目標"だけを心の中に持って、自分の足で歩けばいいよ。

うん、きっとそれだけでいっぱいいっぱいだから。今は。


これから生きていれば、ポジティブになれる今日みたいな日もあれば、
ビルの上から飛び降りようかと本気で考える日もあるだろう。

それが、生きてるってことなのかも。

必死になんかならなくていいよね??

必死になって、あがいても、あがいても、何か変わった??



何千万、何億という借金を作ったわけでは無い。
日本に住めない程の犯罪者でも無い。
他人に迷惑がかかっているということも今のところ無い?と思う。

自分のように、悲しむ人が1人でも減ったらいいな。

一人でも笑顔が持続出来る子供が世界中に住めたらいいな。

夢みたいなことばっかり描いていて、
理想論みたいな事ばっかり考えていて、
いつまでたっても、成長しない私。

だけど、これもまた「私」なのです。

人に「何かを伝える」ってこういう事だ

私が、20年前にお世話になった事のあるシェルターの人と今日は電話で話した。

新幹線の線路のそばを歩いていると、「新大阪」行きが真横をすごいスピードで走っていく事が
あって、これに飛び乗る事が出来たら、「京都」へ行けるんだなって思ってしまったら
何度も悲しくなって。

私と娘の「今」があるのは、そのシェルターでお世話になった相談員の女性と当時、課長をされたいた方の
おかげなのだ。

私は、今の場所で、京都でお世話になったシェルターに電話をかけ、相談する事は間違いでは無かったように思えた。

同じ、女性のためのシェルターで、相談員さん達でも、窓口が違うとここまでも違うのか、、、と愕然。


私が今日、電話をかけて今の状態を話したのは、自分の頭の中の整理をしたかった事。

そして、私が誰かに何かを伝えるとうまく伝わらないという事。

今日、相談員の人と話をして、驚いた事は、

「あなたは、会話も上手だし、頭が良くて相手を先に見破ってしまったり、
先の答えがわかってしまうから、自分自身が辛くなってしまうのかもしれないよ」って。

その「先」と「答え」は何通りもあるように思うよ。

目から鱗だった。

生きる為に大事な気力すら失いそうだったのに。

後ろ向きになっていたのに。


私は、ここ数年、誰かに何かを話すのが下手だと思い込んですっかり自信をなくしかけていた。

自分で複雑にしてしまっていたのかもしれない。

明日、一社、面接を受けるにあたっても、臆病になっていて、また同じ事がおきるかも?
私はうまく社会に紛れる事も、会話する事もできないのでは?

家をなくし、仕事をなくし、自信もなくし、もう混乱しか無かったのに、

電話を切ったあと、私は自分の目や耳、口にもう1度自信を持って歩いてみようって思えた。


自信がなくても、今の私はなくすものなんか無い。

ゼロなのだから、マイナスにどんどんなっていく事よりも、0、1でも前に何かを見つけたほうがこれからの
私の人生にプラスになる。

そう思えた瞬間だった。

誰かに、「何かを伝える」ってこういう事だって思えた。


学ぶ事が出来た。

言葉は凄い魔物だって思う。

電話は、顔が見えない。

だからこそ、相手が今どんな状況?シチュエーション?何が伝えたい?何をキャッチして何を返せばいい?

そういう根本的な大事な事を教わった気がした。

私が、この数ヶ月の間に起きた数々の悲しい事全てを、一旦置こう。

私が何か失敗したり、落ち込む事が起きても、次の扉をあける。

失う事がどうしても嫌なのは、自分の家族と自分の本当の心の内側だよね。

自分に嘘つくなんて、時間が無駄になってしまいそうだから。


人に何かを伝えるって事の本当の意味は、対面が伝わりやすいと思い込んでしまうところだった。

電話という見えない相手に対して、聴く、受け止める、伝える、

想像力豊かにどれだけなっても構わないのだ。


書類審査を通過した会社。

明日の面接。

何が飛び出すのか?考えるより、行って楽しんで来よう。

ダメだからって落ち込まなくても、こんな経験したんだって思えそうだから。


私の中身を見てくれるような人が採用決定する人だったらいいな。
それが、仮に不採用だったとしても。

トイレは他人に代わってもらえない

毎日、無料のwi-fiを求めてはこの図書館へ来てる。

時間が決まっていて、2時間以内だ。


2時間以内にできる事なんか、とても限られていて、急いで何もかもしなくてはいけなかったりする。

私は、のろまだから、メールチェックして、返信するだけでもかなりかかってる。

そこへきて、頭の中の整理のために書くブログ。

手書きしているわけじゃないのだから、そこは楽なのだろうけど。

更には、就職活動に必須の、電話連絡。


図書館で、電話を使う勇気とバッドマナーな私。 


小声で話しているとは言え、いやな人は嫌だろう。

そりゃそうだ。

そう、そしてFacebookに、Twitterを観てしまう。

頭の中の整理どころか、混乱。

誰も手伝ってはくれない、頭の中の整理。


トイレを他人に代わってもらえないのと近いだろう。

私の障害は、毎度毎度書くと、、、

他人からは見えない障害だ。

何なら、家族にも理解してもらえないのだ。

私が昔働いていた大学で、お世話をしたある学生はうつ病やら、摂食障害やら、社会とうまく適合出来ない障害のある女の子がいた。

その子が、未だに連絡をくれる。

この間、その子のTwitterを見ていたら、自分の摂食障害にいまだに母親が理解がないと書いてあった。

その子は私から見て、特殊に甘えただ。

あと2、3年すれば30前の女の子だが、幼い時に両親が離婚したこと、父が浮気していたこと、
その浮気相手と今は再婚している事。

それがどうしても許せないと言う。

母親は、長く付き合っている恋人がいるが、再婚はしていない。

何が違うか?

女の子にとって、父親とは?の世界だ。

母親には、同性を感じるだろうが、父親に対しては永遠の父親なのだろう。


私も少なからず、そういうところがあったが、自分が結婚をし、子供を産んで育てた結果、

父に対する怒りよりも、同性である母親に対しての怒りのほうが強くなった。


見えない「障害」には、本人は勿論、誰もが困惑し自分を傷つけ周囲を振り回す事すらある。

だけど、その障害が自分の「味」だったら?

良い意味で勘弁してあげなくちゃって思う。

障害のせいで、人を殺してしまった。 これは、発想が飛びすぎてしまうのだろうが、

私のような人間も含めて、周囲には理解されづらい障害については、永遠のテーマで世界共通なのかもしれない。

欧米は、精神の病について、確かに研究は進んでいるし、理解されている部分もあるかもしれない。

ただ、見る目は世界共通な気がする。

日本のように、オブラートに包まず、欧米のようにドストレートに突っ込まれると正直厳しいのかも。


まとめにはならないだろうが、、、

結局のところ、トイレを他人に代わってもらえないように、

精神の病は、見えない分だけ自分を客観視しづらい事もある。

つまりは、自分の頭の中を整理するのは結局のところ、自分自身しかいないってことよね。

声を殺して泣く事

昨日は都内は雨だったんだ。

犬くんはお散歩へ行けず、かわいそうで。

でも、夜中になって雨も止んでいた頃、娘が作った犬くんようのトイレに
可哀想に、水ぽい下痢があった。

慌てて、犬くんに服を着せて、真夜中だったけれど少しでも出たらお腹が楽かも?と思い

寒かったのだけれど連れてった。

"I'm so sorry, Your mom is everything is stupid right?" "I say so sorry for you, everything is bad of mom."

犬くんはいつだって私のバカさに付き合ってくれてることに、心から申し訳ないと思えて泣きたくなった。

寒いのでほんの、数分だけのお散歩。

部屋へ戻って、お尻だけでも暖かいお湯のシャワーで洗ってドライヤーをしてあげようと思った瞬間、

帰宅したばかりだった娘が、

「壁にまた傷作ったでしょ!どうせまたママがお洗濯した時にでも作ったんだ」と大きな声で
言い出した。

もう、そんなことどうでもいい。

犬くんの姿があまりにも、悲しくて。

ドライヤーをしたあと、犬くんは自分のブランケットとハウスの中で、
一人だけ何かを食べだした娘をじっと見てた。

私だって、お腹がすいてる。
犬くんだって、本当は欲しいと思っただろう。

だけど、彼は諦めていた。

眠さで、こっくんこっくんと頭がなり、目がだんだん眠くなっていて。

私は、声を殺して、涙が止まらなかった。

いつだって、娘が泣いたり喘息で咳が止まらなくなった時、娘の父親だった元夫が
何かにつけて、怒鳴ったり、罵倒するような言葉を投げていた時の事を思い出した。

私は、元夫にわからないように声を殺して泣いてた。
時にはお布団に顔を隠して。時には、夫が出かけたあとに。
手が無意識に握りこぶしを力いっぱい握っていた時の気持ち。

悔しい、悲しい

その気持ちを、今は娘に対して思ってしまう自分がいる。

犬くんは、私にとってもそうだが、娘にとっても大事な家族なはず。

彼女は、悪い子ではない。わかってる。

だけど、心がいったいいつからあそこまで貧しくなったのだろう。

他人を罵倒し、親を罵倒し。犬くんに対する気持ちが、彼女の父親に似てる。

娘は、弱い。とても心が弱い。
弱いから吠え続ける。

彼女の心は、真っ暗だ。 私にはもう助ける事はできないの?

私が原因で、彼女はあそこまで心が濁ってしまったのだろう。

私の立場だと、今居候させてもらっている身なので、娘に何を言われても仕方がない。

ただ、犬くんは違う。

彼は一人では生きられないのだ。

人間の勝手で、あちこち動かされ、老後は、体が悪いのに、一生懸命に生きるために頑張ってる。


息がしんどそう。
食べたいのに、我慢してる。
娘が怒る空気や声を理解してる。
私と娘が普通に会話していると、ねんねできるのに。

私は今、無力だが、彼はずっとこういう気持ちで生きていたのだろう。

人間、私か娘の力がなければ生きられない。

涙が止まらなかった。

犬くんが眠るのを確認して、私も眠った。

娘は、明け方までスマホで何かしていたはず。

寝る前に、1言も話していないから機嫌悪かったんでしょう。

明日、私は、一社の面接を受ける事になっているのだが、
娘は、
「まさかその面接だけに期待してるんじゃないよね?」と。

他にも並行して仕事は探してる、と伝えたら、
「当たり前」と言われた。

私は、正直、明日の面接で採用になるとは思っていないけれど
そこに集中したり、自信を持っていたいと正直思っている。

私の年齢では、ダメ元なような会社だから。

むしろ、私が犬くんと住める場所を探したいと思ってる。

それを、娘は「仕事と家の両方を探して、できるわけが無い!」と怒った。

私だって、わかってる。

あれもこれもなんて出来ない自分の事を。

仕事を探すとしたら、明日の面接でもし採用になった時のことも考えてしまう。

日雇いバイトをするにしても、そこに影響のないシフトを考えておかなくてはいけないのでは?とか。

真夜中のバイトをするとしたら、生活を元に戻すには時間がかかる自分の体の事も関係してくる。

私は、娘のように、器用では無い。


頭の回転も悪い。何をしてもバカでみっともない。飲み込みも悪い。

彼女と話すと、自分が嫌な気持ちがもっともっと強くなる。

この社会に私を認めてくれる場所を探そうなんて、作ることも出来ないことを改めて感じる他ない。

犬くん、どうかこんなママを憎んでね。

ただ、ママが出来ること、限られた時間、精一杯したいよ。

無力なりに。

転校生の気持ち

どんな事でもそうだと思うけれど。

誰かよりも先に、最初にスタートするって勇気が無いと出来ない事って生きていると多いと思う。

今日はまた無料の図書館に来て、これを今書こう思って開いたら

「読者になる」というところが「1」となっていた。

これは確かに自分のブログだけれど、正直言うと大半の人が考えているであろうアフリエイトで小金を生み出して
そのうち生活できる程になろうと思っている強者さん達とは比べ物にならないくらい、私は
意識が低い。

何よりも頭が悪いから。私は。

自分のブログの仕組みがよくわかっていないのだから。

私のように、ダラダラと思う事、あった事を書いてるだけのブログなんかの
読者になるをクリックしてくれる人に、申し訳ない気持ちになった。

ここで書くのはおかしな話なのだろうけれど、
1番最初に、私のブログを読んでますよというアピールを公にして下さった方へ
心から「ありがとうございます」と伝えたい。

純粋に。素直な気持ち。


私のようなブログを読んでますなんて公にするのは、恥ずかしいだろう、私がまず最初にさっき思った事だ。

何年も前からアメブロで文章を書いていたが、
ろくな話題もなく、ダラダラとただ思う事を書いてるだけ。

満足しているわけでも、悩みが解消されたわけでも無い。

健忘録にと思っても、改めて自分の書いたものを読み返す事もない。

そもそも、、、

私がなぜHatena Blogに文字を書く事になったかと言うと、

それまで文字を書く為にあったAmebroの、取った行動にイラってしてきたから。

記事を書きませんか?と誰にも声をかけるメッセージを送りつけてきた事に

私が、「Spotlight」に記事を書いた事が事の始まり。

そこは、アメブロの日記とは違って、誰かの役にたったらいいなと思って
文章にしたもの。

いくつか、アップしたものが、いきなり削除。

バックアップなんか取ってなかったので、記事は全滅。

アメブロで小金稼ぎに文字を書いている芸能人やタレント達のために、筆者数を増やす必要なんか無いと思えてきた。

悪い頭で、違うブログをアップできる所を探していて、" Hatena Blog "を選んだのは、

Hatenaを創設した人達と共通の友人がいたから名前や会社の上辺だけは知っていたから。

悪い頭で、それまで書いていた記事ごとアメブロからHatenaへ記事を引っ越しする事にした。


アメブロで、お会いした事はなくてもコメントやメッセージのやり取りをするようになった人達も
わずかだがいて、以前には住んでいた住所をお伝えまでする事ができる程、信用できる人も出来た。

有難い事に、私のような人間に美味しい食べ物を送って頂いた事や、お土産を送って頂いた事。
そういう暖かい人達の存在は、孤独な私にエネルギーをわけてくれた大事な時間だった。

まだ子供が思春期だった頃の話。

あの頃から、子供の事や自分自身の事、お金の事も含めて生きる力が無かった。

ただ、今と決定的に違うのはとにかく生きる理由が「子供」だった事が、「犬くん」に変わっただけだ。



so,,,,

私は人と競うのが苦手なのだ。
そもそも、なぜ他人と比較して生きなくてはいけないのか?自分に順位をつける事が嫌いだ。

子供の頃から、運動会が嫌いだった。
他人と順番を競うのが嫌いだった。 今考えても、チキンで変な子供だ。

褒められた事も殆どないが、他人に褒められる事が苦手だった。

素直に、「何か」に喜んだ事が無い。

喜べないのかな。

Hatena Blogで私はとてもじゃないけれど、生活の足しになる小金稼ぎや、
誰かと順位を競うのも無理だと思う。

自分の順位が1位になる事を最初から諦めている弱い人間の考えそうな事でしょう?

何が何でも1位になる、とか誰かより上を歩こうとか。

そういう事を考えられないのだと思う。

ここに書いている文章も、何ら設計がなく、カテゴリーも作らず、何の縛りも無い代わりに

多くの人に読んでもらえるような、行動も計画もない。

いかにして、ブロガーのように小金持ちになったり、生活を出来るようになるか。

確かに、読んだ。


ある人のブログには、読者数を増やしてPVを稼ぐなら、
他のブロガーさんとの交流を少しずつ増やそう、と書いてあった。

転校生は、自分から自己紹介をしないと誰なのか?わからないと。

あぁ、そうだった。

私はいつだってどこへ行っても「転校生」だった。

自己紹介は決まって同じ。だけど心を開ける友達は出来ない。

50歳になったばかりの私は、いまだに、社会の転校生だ。

何かを極めることも、人の一歩先をいくことも、自分に順位をつけることも、

一人で生きていけるだけの生きる知恵もない、ただウダウダ言って、悲しんで、嘆いて

惨めだと感じているただのしょーもない、腹立たしいおばさんだ。

私のリアルな暮らしの中の周囲には、会社を経営している人や、ITで極めてる人、
プロのブロガーになって生活をして子供もきちんと育ててる人、

ごく一般的な家庭の主婦だったり、母親として、妻として生きてる人も。

世界中を飛び回ることの出来る程、仕事をしている人まで。

私のようにホームレスになって、私を嫌っている子供の家に居候しなくちゃいけなくなったり
定職として仕事につくことも出来なくなっている人なんか、私の周囲に一人もいないさ。

子供の頃からネグレクトを受け育ち、結婚した相手やその家族からDVを受け、
裁判で離婚して、日本だけじゃなく、海外に身を隠し、
生活保護を受けながら、精神の障害と戦い、子供を育ててきた経験なんか、誰の役にたつというのだろう。

成功した人の話を聞いて、役にたつことはあっても、私の人生の大半をここに残しても
誰一人として、私は役にはたたないだろう。

50歳になって、まさか自分が職なし、家なしになってるなんて想像出来た??

そうだ。思い出した。

私のような意味不明なことをダラダラ書いている人間のブログの読者になるを押して下さった方に
お礼が言いたかったのだった。

純粋に素直に、心から、ありがとうございます。

若さと老

ITのエンジニアは大抵、20代、30代世代だ。


若者のために国はもっと動く、若者を救うべきだ


「若者」って何??

私が若い頃は、怖いものなんか無かった。


若い人と呼ばれる人達が今の日本の社会で大変な事が多いのかもしれない。

自分の20代の子供を見ていると、確かにそう感じる事もある。

ただ、彼らは井の中の蛙に見えて仕方が無い。

自分達で井の中を小さいものにしているように思う。

集団で無いと歩けない世代。

それを作ったのは、それよりも年上の世代だと口を大にして言う。

誰かのせいや、何かのせいにする事は、生きる上で必要な事もあるが、

人生の大半を何かのせいにしていたら、余計に生き辛いのではないだろうか。


今の20代、30代の人は、生きる知恵さえあれば、ツールさえ手にはいれば、
起業もできるし、見知らぬ人とも繋がる事ができる時代だ。

旅へいく人、この指止まれ。
起業します。手助けしてくれる人いたらこの指とまれ

ブロガーは、どこで暮らしていても出来るツールだ。

会いたくない人とは会わなくても良いし、
批判を見なければ、不安なら見たらいい。見なくてもいい。

自分の人生を右にも左にもどこへ行こうが、ツールと知恵が手にはいれば、孤独にならずにすむ。

私のような50代の世代には羨ましいものだらけだ。


50代で、もはや「老害」と呼ばれている世代だって事を自覚しないと前へ進めないのだから。

もし、手書きで、これだけの文章を書こうとしたら、
ものすごい時間を要する。

PCというツールのおかげで、タスクも増え、ワードも増え、

そう、きっともっと前向きになれる人生も私にはあるはずなのにね。

居場所が無いだなんて。

家庭も、職場も、お金も失ってしまう。

なんで生きてるかなんて考えたら、生き辛い。

考えたくは無い。

だけど、人に必要とされない自分の身や心をどこへどう持っていけば?そう感じる事が
果てしなく悲しい。

誰かのために。

そう考える事が当たり前だったけれど、いきなり、自分のために何かしようとしても
なにをして良いのか、わからない。

誰かに必要とされるからこそ、頑張れた事もあるのに。

生きる知恵のある人、そうでは無い人。

【 #スマホで朝生 】あす21時からインターネットテレビ局AbemaTVで、豊田真由子小西洋之雨宮処凛池澤あやか、落合陽一、パックン、藤原和博、牧野正幸、米良はるか、堀江貴文田原総一朗の各氏が“AI時代の幸福論”を展開!あなたの人生観が変わるかも?! #AbemaTV


Twitterを普段から使っている人やFacebookを普段から見ている人であれば、目にしているだろう。
ホームレス状態や飢餓状態にある人間が、Abema TVが何なのか?を知っている人がどのくらいいる?

もはや、ネットが無い生活が考えられない今の時代に
必ずしや、支えている人ばかりじゃないとはなぜ時代を戻しては考えられないのだろう。

私は、ITやネットに興味を持った事で幸いな50代なのかもしれない。

お金がなくても、まだ今のところ、PCやスマホを手放していない50代だ。
無料のwi-fiさえあれば、どこかで使う事が出来る事を知っていたのも幸いだ。

初めて私がPCを持った時に、コンセントにさせばインターネットに繋がると信じていたあの20年前。

それから時代がこれほど変化していても、あの時のままで止まっている人が
いる事をどうか誰かがどこかで、覚えていてほしい。

誰もが、時代についていけないと生きられないなんてナンセンスだ。

生活保護についても、受給できた人がもっともっと公に具体的にする事で、
死なずにすんだ人達も多くなるのでは無いだろうか。

日本ではその最後の砦の生活保護制度自体が、死んでる。

働く事が出来て、自分でお金を得る事の出来る人達は救いだ。

お金がなくても、ゼロからでもお金を生む事の出来る知恵のある人、生きようと思える人達は救われる。

どうやって、いったい何を、どこに、誰に救いを求めたら良いのか?が日本では公にはなってこない。

不正に受給した人ばかりがクローズアップされてしまうから。


ちなみに、簡単には生活保護を不正に受給なんかできないから!

簡単に不正ができる人は、生きる知恵のある人達。

反貧困ネットワークを作り、寄付を慕うのに、
家がない人に、場所を提供して、
その敷金にあたるお金を分割にして払ってもらうなど、精神的に
「負」が背中に覆いかぶさるだろう。

正直、私にはその団体だけではなく、他にも多くのホームレスや無職、精神に疾病を持つ人を助けるための
団体を調べた。

公に貸付の出来る場所で、家を失う前に相談した。
それまでに6ヶ月以上、同じ場所で仕事が出来ていたかどうか?の証明を出さないと貸付してもらえない。

いや、ちょっとまって。

6ヶ月以上、つまり1年の半分以上、同じ職場で給料をもらう事のできる人であったなら、
貸付してもらわないし、家を失ったりしないから!

同じところで働けずに、お金を失い、家をも失ってしまいそうにある人達に
何て、くだらないナンセンスなルールなんだ??

24時間生テレビで、お互いに意見を言い合いしてくれてどうもありがとうだ。

TV番組をつくるには、構成作家さんもいて、ディレクターもいる。
プロデューサーがokを出せば、番組は放送される。

なぜ、台本があると思う?

なぜ、田原聡一郎さんは24時間生テレビになったら出てくると思う?

汚い世界で、汚いお金をもらって生きている人達にしか思えない私の心はもうどん底にまで
来てしまったのだろうか?

いや、冷静に考えてもテレビの裏側を知ってる人であれば、わざわざ夜中に見ないはず。


日本を救いたい、誰かを助けたいともし本当に思うのであれば、
テレビ朝日から出るギャラを、どうか家を失ってしまった人にばらまいてごらん?

働いた人だけが受ける事のできる対価。

つまり、働けない人は手にする事の出来ない対価だ。

そもそも、働けない事=ダメ になる社会を作ったのは日本人の誰が最初に言った言葉なのか、

「働かざる者、食うべからし」


いや、もうこのままの呪文を数百年に渡って引き継いでいるのだからもはや、最初に言った人は凄いよね。

そして、そのとおり働けない者は家を失い、お金を失い、食べ物を失い、
時代の変化にもついていけず、病になり、孤独に苛まれ、死を待つのみ??

あまりにも、負の連鎖が悲しくて、こうして文字にしている私が、まさにそのど真ん中にいる事を
忘れてしまいそうになる。

私は、あさってに、仕事のために面接を受ける予定だが、
自信なんかさっぱりない。

仮に、採用になったとしてもだ。

仕事が出来るような状況にないと言う事を認めたくないだけ。

Aという自分をBという自分にして演じるだけ。

それがいったいいつまで続ける事ができるのか??わからないさ。

誰も救ってはくれない。
なぜなら、
自分で歩かないと、助けてはもらえないから。

自分で歩ける人だけが、「助けて」と言っても良いよと公に言われている社会なのだから。

見えない貧困とは何を指すのか

反貧困ネットワーク」というweb siteがある。

去年の今頃、いや、この歳になるこの今にまさか自分がこのページに到着していると、想像ができただろうか?

雨宮処凛という女性の本を図書館で目にして、少し読んでみた。

彼女がどういう経歴でこれまでどんな生き方をしてきたのかは、置いといて。
人を助けるという事が出来ているとしたら、それは凄い事だろう。

私のように、誰も人を信じる事が出来ないような障害者はどうすればいいのかな。

手助けをしようという人なら、辛いと思っている人に辛い現実を復唱するのではなく、
具体的にこの場合、どうすればいいのか。そこは大事だと思う。

ホームレス状態になった人は、図書館に入る事も実は厳しい。
ネットに繋がっているかもわからない。
電車やバス代がなくて、職や家を失った人達の為の家を用意してもらったとしても
都内の便利な場所にいるとは限らない。

歩いていける体、体力はあるのかどうか。

相談の電話番号が書いてあっても、フリーダイヤルではないだけでなく、
公衆電話からかける事が果たしてできるのかどうか。
携帯からは大抵、フリーダイヤルへかける事が出来ない。

電話代を残してホームレスになっている人は珍しいとは思わないだろうか。

生きる事に疲れて自死を選ぶかもしれない状況の人が、時間内に電話をかけるうちはまだ良いだろう。

受付の出来る時間や曜日、場所へ必ずたどり着ける方法を手段を考える事は難しいだろうか。

PC,スマホや携帯電話を持っている人なら、救いがある。

全てを持っていない人にはどういう対応が出来るのか?

そっちが、「命」に関わる最初のステップだと私個人的には思う。

私は直近の仕事をしていた時、スマホの使い方がわからない世代の人が加入するオプションで
キャリア側で、遠隔操作をしてもらえるという仕事をしていた。

はっきり言って、私と同世代の人もかなり多く驚いた。

大げさに言うと、私よりも世代が下の40代の人達でも、スマホの使い方がわからずに、
お金を出してオプションに加入し、助けての電話をかけてくるのだ。

50代、60代の多さに驚いた。

70代の人達は、自分を年寄りだと思っている人が少なく、スマホを持っただけで若い気持ちになれる世代なのかもしれない。

つまり、その人達は暮らしに問題が無いが、
その「知恵」がなく生きていられない人達にはいったい誰が救いの手を差し伸べる事が出来るのか。

見えない「貧困」とはいったい何を指すのか??

「日本が世界一貧しい国」という題名の本も読んだ。

この小さな島で、同じ島国人間だで、現実を文字にしてお金をもらっている人達は
確かに、ボランティア精神も強い代わりに、当事者にはならない。

なぜなら、彼らには生きる知恵があるから。

ごく最近で言うと、若い大学生達が、ラップ調で貧困がどうだの戦争がどうだのと運動をしてみる自由があるのは、
彼らに、生きる「知恵」があるからじゃないのか?

PCやスマホもなく、本を読める無料の図書館ですら入り辛い状況にある人に、コーヒーの一杯でも
手渡す方が余程、人のためになる事をしたと私自身は思える。

この日本で、私が実際に、今、ホームレスになってみて思う事だらけだ。

インターネット

ここは、図書館。

PCを使えるブースと、単純に図書のブース。

時間が2時間までと決まってるんだ。

PCブースと、図書ブースを入れて合計4時間は暖かい場所で座っていられる。

誰にも気を使わないでいられる私の唯一の居場所だ。

無理な笑顔を創る事もなく、お金も使う必要なく。

時間を気にしなくてはいけないのが、残念なんだけど。


私が手にする本には、共通している内容がある。

親子、母親、暴力


こうして、PCをタイプしているので、本は必要ないのだけれどとりあえず?取ってきては
パラパラと見てみる。

私は、30歳を過ぎてからPCを触れるようになった世代だ。

コンセントをさせば、PCが使えるのだと思って意味もわからず購入したあの日。

わくわくしながら、コンセントをさした日のことを思い出す。


世界と繋がることの出来た、凄い物だ。


実際には、当時は電話の回線を使ってインターネットに繋がった時代だったのだが。

思い出せない程、大昔に思える。

携帯電話を主婦が持ってなかった時代。


私は、「本」だけで情報を得て生きてた世代なのだ。


娘がこの間言った。

Google Mapがあるからどこへでも行ける。

HPがあるから、情報がわかるのに、ママは地図もない時代に、海外にまで子連れで行ってしまうなんてある意味、凄いね。」

そうか。

私は、凄いんだね?

娘は、私をどん底まで貶すか、褒めるか。

極端だから、けなされると落ち込みがこれ以上にない程落ち込むのだ。

ITの進化の速さはすごかったと思うけれど、今はどうだろう???


私の興味分野だけれど、詳しいわけでは無い。

だけど、知識もないのに、Flashを使ったり、自力でHTMLを書いて自分のHPを作ったことがあった。

およそ20年前の話。

勉強したんじゃない。

わからないから、読んで、真似ただけで。

失敗の連続だった。

だから、面白かったのかな。


今は、便利だ。

プログラムなんか必要なくて、

無料で、自分のこうやってブログが持てたり、HPとして簡単に作成出来てしまう。


プログラマーさん達に感謝だよね。


私は、この先そんなに長いわけじゃないけれど、

インターネットは、私が世界中のどこへ行っても繋がろうと思えば繋がる。

極める職業なんて私にはないけれど、いつか家の中から出なくても良くて、世間から冷たい目でみられることが
なくなったらいいな。