"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産申請中←今ココ)

クソな日本

自分の人生を恨む。
悪い事ばかりでは無かったかもしれない。
一生忘れる事のない、他人の暖かさにも触れる事だって経験できたと思う。

でも、ほぼ悪い事が起きてきた人生。
辛い事と戦ってきた疲れる人生。

私の人生はいつ終わるのかなんてわからないけど、疲れる人生はまだ続いてる。

この数日、本当にジェットコースターよりも激しく忙しい日々だった。
物理的な事もだけれど、精神的には10年くらいのエネルギーを使ったように感じる。

私は、今日娘と犬くんの住む家へ戻る事になった。
(これについては、改めて、なぜこうなったのかを書こうと思ってる。)

ただし安心出来てリラックスの出来る場所では無い。
気合を入れて、休む事なく頑張り続ける事。

昨日、区役所で生活保護申請の窓口へ再び行く事になった私は、とどめを刺すごとく
クソ最低な女の対応と言葉で、生活保護を受ける事を思いとどまった。

1日考えてみると言って区役所をあとにした。

出来れば、もうあんな場所へ行きたくは無いと思うような最悪な場所だね。

ホームレスの人がなぜ、ホームレスになってしまうのか?
疑問に思う人はいっぱいいると思う。

私は自分がこの経験をしていなくても、ホームレスの人に対して道で寝ている人に対して
特別視した事が無かった。

だけど今は違う。

私のように見た目からはわからない障害を持つ人や、明らかに精神に障害のある人。
そして、発達障害など生まれ持ってきた障害のある人達。

その人達の立場になって考えられるような国では無い。

日本は、平和だなんて誰が言ったのだろうね???


冗談じゃない!!

多摩川の河川にいるホームレスの人達に「やらせ」をさせた朝番組、「ビビット」だってそうだ。
日本の国は狂ってる。

誰がこんな国で平和に暮らせるというの??

一部の裕福な人達や、
富を得た人、
お金がなくても、家族の愛情をいっぱい受けてきた人達でしょう?

前向きに、生きられる人というのは、
愛情をいっぱい受けた人か、お金に苦労の無い人生でいる人だと私は思う。

私も含めて、
人を信じる事が出来ず、家族にも恵まれず、何らかの障害があったり、心を開く事の出来ない人達は
ずっとずっと生き辛いままの道を孤独に歩き続ける他にないのか??

私は、自分の人生に生きがいを持っていた頃は、頑張れたんだと思う。

でも今は?
今後は?

ホームレスの人を話題にしてお金を儲ける人は、地獄に落ちるさ。

生きる為に、誰かを利用しなくてはいけない人生なんて最低だし、生きる為に
自分を殺すなんて、死んだも同然。

誰かのために、メリットなんかなくても
自分の出来る事を精一杯、力になったり、手助けしたり、話を聞くだけでもいいと思う。

そして、自分に余裕の無い時だからこそ、誰かに優しくしたりする時間が大事なのだと思う。
他人だろうと、家族だろうと、優しく暖かい気持ちで言葉をかけたりする事のできる人は
いつなのかなんてわからないけど、自分がした事の数百倍になって素敵なプレゼントが届くと私は思う。

そして、
誰かの為に暖かい気持ちで接する事の出来ない人は、想像以上に心の狭い下らない人生を送っているのだと思う。
気の毒な人達なのだと思う。
メリットでしか行動出来ない人間は、所詮そんな人生だ。
幸せな人生を送っていないだろう。

脳の為の薬はあっても、
心のための薬なんか無い。

カプセルホテルで迎える朝は、今日で一旦終わり。

次にこんな時間になるとしたら?
その時が来ない事を願いたいけれど、
もしも、またこんな時間、日々になってしまったとしたら、きっとそれは又、受け入れて前へ進む事にしよう。

後ろが無いのだ。
立ち止まって、その場で足踏みをする時間、考える時間は大事なのかもしれないけれど、
後ろへ戻っても、良い思い出までもが悪い思い出に姿を変えてしまうかもしれない恐ろしさを
味わうのは、自分を今以上に否定してこれからの時間を生きなくてはいけない。

後ろを見る時間よりも目の前にあるものを大事にしよう。
私のような人生を送っている人がいたら、私の経験を活かしてきっと私は手を貸したくなるだろう。

私が安泰になったわけでは無い。
ホームレスには変わりは無い。
娘の家へ居候する事を私が選んだだけ。
娘もまた、ママという人を肯定したわけではなく、自分が最低な娘になる事に苦しい気持ちになっただけ。
目の前で頑張ろうとしてる人をほおっておけない娘なだけ。

私がエンジンを止めて、パーキングに入ったその瞬間にレッカーしてもらうように手配をするだろう。

人生に終わりがあるとしたら、脳が停止して、心臓の動きが止まった時だろう。

ex BF

昨日の夜、私が恋していた彼からメッセージが。

アメリカへ帰る前も会いたいと言って。
私は結局会わなかったんだ。

無事に彼がアメリカへ帰国するところまでは見届けたいと思った。

Facebookで確認したら、忙しかったのもあるだろうけど待っても待っても成田空港のままだったから、
思わず、無事に到着してるの?大丈夫なの?とメッセージを送った。

彼は「ちゃんとチェックしてたんだ?」と笑っていた。

もうそれで彼とは連絡を取るのはやめようと思った。
でも、いい思い出と共に彼のこれからの将来も遠い日本から見ていたいと思った。

誰か他の人と恋愛しようと思ったことはない。

本当に好きだったんだ。
だからこそ、離れてあげるべきだと思った。
彼は私よりも15歳も若い。
彼は、出会ってからずっと私を下に思っていた。

彼には、将来がある。
私なんかに時間を取っていてはダメだと思った。

だけど、英語でそれだけのことを説明することは本当に難しく私にもし英語でパーフェクトに
話すことが出来たら、彼ともっと一緒の時間を過ごせたのかな。

彼が他の人と付き合うことになった時も、
私は嫉妬をしなかった。
当然だと思ったから。若いのだから、若い女性に目がいって当然だ。

彼は少なからずsex依存的なところがある。
それは、依存症とも女好きともどうとでも取れる。
ろくな男じゃない。

だけど、私がなぜ彼に恋をしているか。
それは彼が二人の娘を大事に大事に想っているからだ。
人生の大半をミリタリー生活で過ごし、ほとんど海の上にいて、日本にも2年もいた。
日本が嫌になったはずなのに、アメリカへ戻っても、日本食を食べていることに驚いた。

日本で買ったタバコのワンカートンの写真を見せてくれた。

アメリカのタバコなのに日本でわざわざ買って持って帰国したの??笑えるな。

仕事の中身は正直、完璧にはわからない。
だけど、日本の自衛隊や海軍に比べて厳しい暮らしであることは確かだ。

普段の彼からは想像もつかないような暮らしなのだろう。

アメリカという国は本当にスケールの大きさに驚く。

羨ましいと思うことがたくさんある。

彼は、家族に恵まれていると思う。

本当に離婚してしまったけれど、離婚しても妻が子供を普段はみて、妻ともこれからも友達でいられて。

彼の人望?周囲の暖かさに支えられているのは凄いね。

私は、家族を何よりも大好きで想ってきたけれど
ご覧のとおり、
両親もなく、弟とも絶縁。

育ててきた娘も私が重いと距離をおこうとされていて。

本当の愛情を知らない。

だけど、これが死ぬまで私の人生なのだ。

別れたBFが、今でも連絡してきてくれる理由はよくわからないけど、
新しい恋人ができるまでの、暇潰しなのかな。

日本を恋しく思える程の日本人に出会ったのかな。

彼が明日はビーチへ行き走ったりすると言ってた。

広大な刑務所で暮らしているようなものだから。ビーチに行きたくもなるでしょう。

太陽、ビーチ、海、彼はそういう自然を大好きだ。

本来の私に似ているのだ。

太陽を見れること、雪で遊ぶこと、面白いことが大好きだけど、自然を大事に想ってるんだなってわかる。


死が隣り合わせの世界なのかもしれない。

生きていることへの感謝があるのだろうか。

私のように1秒でも早く死んでしまいたいなどとは、彼は思いもしたことがないはずだ。

だけど、実は繊細な部分もある。

彼は、嘘を言って私が怒ったら、子供がお母さんの前で、必死で嘘を言ってごめんなさいと言う姿に思えた。

小心者。

きっと、強くもあり、弱く繊細な部分が多いのだろう。


私と娘がアメリカに来て暮らしたらいいと思うと何度もいう。

彼には、何度か言ったことがある。

日本人は3ヶ月しかVISAが出ないから、また日本に帰国しないとダメなんだよと。

アメリカで仕事を見つける程の英語力があるわけじゃない。

娘は、英語は聞き取れるが、話す力が衰えてしまった。


私がもしあのまま、娘とカナダで暮らしていたら??
どうなっていたのだろうか?

カナダの永住権でも取っていたのかもしれない。
少なくとも、娘はできただろう。

娘は不思議だけれど、外国人は嫌いだと自分が差別を受けたことを根に持っている。
日本にいたら、人種差別は受けないものね。

だけど、彼女自身は気づいてる。
日本社会で生き辛いと。

だけど私が強制することは出来ないのだ。
なぜなら、彼女の人生だから。

もしも、私がアメリカで幸せに暮らしていたら、時々行くと言ってた。
一緒に行こうとしないのは、日本でも生き辛いママがアメリカへ行って成功することはまず無いから。だそうです。

おっしゃるとおりだけどね。

外国人が母国以外で仕事をしたり生活をするというのは、多かれ少なかれ、苦労がある。

面白いことばかりじゃない。

旅行は面白いことばかりなのに、不思議だ。

住むとなると、大変だ。

もし、好きな人が私を守ってくれるなら。私はやっぱり甘えた考えなのだよ。

今の私は、心身共に疲れてる。

大きな岐路に立ってる。

もう何度もこういう場面があった。

私の選択がどうか間違っていないことを願う。

こういう時だけでも、恋しちゃった人からの連絡に答えてもいいかな。

夢みたいな時間だけど、そういう時間をせめて支えにしてもいいかな。


私の命よりも大事な娘と犬くん。
今日、一緒に寝ることが出来る。3人で寝るのはこれが最後かもしれない。

犬くんの事、考えなくちゃ。

225/72

土曜日。
週末の土曜の朝をカプセルホテルで目覚め、昼間を図書館で過ごす人がどこにいるだろうか。

犬くんにお薬を飲ませに行き、
食事を作ったけれど食べない。
お散歩に誘ってみた。
最初は行かない感、満載だったけれど太陽が出ている間に。と思って誘った。

そして、お散歩が戻りいつもどおりシャンプードライヤーをしてねんねを確認してから娘の家を出た。


図書館。

よく来ている人は顔を覚えていたりする。

きっと私も覚えられてるのかな。


今日は、私の実の父の誕生日だ。

生きていれば、72歳。


若い頃から格好良い父親だった。
私が父と一緒に過ごした頃は、スーツがとても似合う格好良い男性像だったと思う。
だから、モテたのか?浮気ができたのは
父のマメさの賜物なのか、それとも、モテたのか。

中年になってからは太ってしまったけれど、外では紳士だったと思う。

父は、お坊っちゃま育ちだったと思う。
子供の頃はそういう事を考えた事も無かったけれど、
今思えば、親のことがわかることも多い。


お金持ちのお坊っちゃまにとっては、何が必要かというと
外の面白い世界だったのだろう。

母と出会う前からモテていたはずだ。

母と結婚するメリットがあったのだろうか? 
母は、若くして結婚し、離婚に至るまでの間、お嬢様育ちでは無かったものの、
世間知らずだったのかもしれない。

今の時代となっては、古い考え方で幼稚だったのだろう。


私もきっと同じだ。

母のことも、離れて何年もたつと、許せなかったことも許そうかと思える。

父も同じ。

父は、私や弟を捨てたと母から聞かされたこともあった。

それでも自分で会いに行きたかった。

20歳になったら、父を探して会いに行こうと。
今のようにネットのない時代。

ただ、父は探しやすかった。 それなりの地位やステータスのある人だったから、
ネットも興信所も使わずして、20歳の若い子が探す事が出来た。

私が結婚して、娘が生まれてから1度だけ会えた。
私の娘を見て、私が生まれた時の頃と比べて、何を思ったか?
私が生まれた頃、小さい頃は、大きな目でこっちを見てたと。

父と別れたあと、娘の父親、元夫が言った。

「おまえのお父さんは、僕の娘の目が小さいと言いたかったんだろ」と。

私は目がぱっちりしていたのか、父の思い出の中にはそういう事が蘇ったのだろう。

父は当時、新しい家庭に幼い子供をもうけていた。私の異母兄弟という事だね。

勿論、会いに行く事は無い。

双子だという事を色々調べていた時に知ったように思う。

だけど、もう、父に会いにいこうとは思わない。

父には父の新しい生活があり、家庭を守らなくていけないのだから。
今なら、わかる。

若い私には、冷たい父だと思った事が何度かあった。

だけど、一生忘れないのは、私が未成年だった時、家を出て一人でマンションを借りようとした時、
保証人がいなくて、両親になってもらってくださいと。

最初に父に泣きついて、外で会って名前を書いてもらい印鑑を押してもらった。

その後、私の母にもその欄の下に名前と印鑑を押してもらった。

不思議な気持ちだった。

離婚して、もう会う事も無い元夫婦が、私を通じて1枚の紙に、サインして印鑑を押すなんて。

あれから、31年。
鮮明に、あの日のことを思い出すことができる。

父が恋しくて会いたい、一緒にいたいと思った。

私は、お茶だけ、サインだけと思って会ったが、父はこのあと何か予定があるか?と。
車に乗せてもらって、隣の県まで行って父の行きつけだったのだろう、お寿司屋さんへ連れて行ってくれた。

とても高級そうなお寿司屋さん。
父の大好きなお魚。食べ方がとってもスマートで綺麗すきな人だった。

父がその時に言ってくれた言葉で、今でも思い出す言葉がある。


「外見はもう大人だけど、周囲の人の言葉をよく聞いて大人になりなさい。中身はまだ子供なんだぞ」と。

子供を持ったことも育てたことも無かった私だったが、いまでもこの言葉が
嬉しかった。
とっても嬉しかった。

そして30年以上が過ぎても覚えているのだ。

父は、私を嫌いだったわけでは無いと思う。

お寿司屋さんを出たあと、私を新幹線の駅まで送ってくれて当時の私には大金だったまとまったお金を持たせてくれて
新幹線の切符を買って、見送ってくれた。

彼の人生もまた、壮絶だったにちがいない。

仕事の出来る人だったし、仕事では誰にも文句を言われることが無い程トップまでのし上がった人だ。
だけど、そうなるには彼のコンプレックスをいつも抱えて必死で地位を駆け上がったのだと思う。

私も今なら理解できることがたくさんある。
社会に出て大人になり、家庭をもち、子供を育てた私の時間、経験は、凄いと思う。

パパ、お誕生日おめでとう。
もし生きているなら、長生きしてね。
家族と共にいつまでも平穏な幸せが続きますように。

心臓の薬

神経が高ぶっているせいか、頭痛が治ってくれない。

今朝から頭痛薬だけでも3回は飲んだ。

明日の夜は、娘の所で寝る事になった。

娘は仕事でいないが、昼間は私はいつもどおりに朝の犬くんのお薬を飲ませてあげて、
ご飯を作って、図書館ででも過ごす。

夜、再び犬くんのお薬と夕食を作って、そのまま泊めてもらう事になった。


できれば、言い合いになるの、嫌だな。

彼女は
犬くんに毎日お薬をあげるのなんて出来ないってさっきメールがきた。

それは、つまり?

私の今のこの状況でお薬だけ飲ませに行ってるが、
シェルターに入れば、そんな行動は出来なくなる。

99%不可能。

せめて、家が決まるまで何とか頑張ってほしいとメールには書いた。

1ヶ月くらい何とか頑張ってもらいたい。

心臓のお薬は、この先ずっと飲み続けなくてはいけないのだから。

抜ければ、心臓は肥大が悪化して、心臓麻痺のような状態で死ぬだろう。
酸素が心臓にまわらないのだから。

娘、、、
お願いだから自分の言動や行動に、もっと責任を持ってほしい。

母を見捨てるのは構わないさ。

だけど、犬くんを見捨てないであげて。
お願い。

何て、説明すれば??

明日にでも、犬くんを娘の家から近い動物病院へ連れて行こうと思う。

そして、私がいない間の事、お薬を飲ませる方法。

相談してみる他ない。

人は、皆、相談されるのが嫌いらしい。


私は、他人だろうと見知らぬ人だろうと、相談されたら、
一生懸命に考える。
一緒に何か出来ないか?を考える。

助けられる事であれば無理してでもそうしたいと思う。

だけど、力のある人ほど、他人には冷たい。

そういうものだ。

そんな事はわかってる。何百回と経験してきたから。


問題のある人、つまり私のような人間に近寄りたくはないわな。うん。わかる。

離れたい人は離れてもらって構わない。

今の私の願いは、犬くんを病院に行かせるだけのお金と、
毎朝毎晩、お薬を飲める事、私が自分の部屋を持てるまでどうか元気で生きていてほしい。

必ずママは戻ってくると約束しても、
それがいつなのかわからないんて、悲しい。

私のせいで、家族が困る。

何もかも私のせいで。

婦人相談所

今日まで「区」をどうすれば良いのか。
生活保護はどうしたら良いのか。
私が本当に簡易宿泊所でいつまでともわからず生活が出来るのだろうか?

ずっと色々な事を兼ねて考えて考えてそれでも答えが出ず、
ギリギリになった今、女性の為の相談センターで相談してみた。

何と私が他の「区」へ行ってはどうか。とか、
簡易宿泊所での生活が始まる事を匂わせ、
その宿泊所の中には、
ドラッグ、アルコール、依存、精神、
いろんな訳ありな人がいる中で生活を強いられる事。
ずっとずっと色々言われて、どうしても決心がつかなかった。

でも、相談センターで聞いたのは
同じ「区」の区役所の中に、女性の為だけに女性が相談にのってくれて
私のようにホームレス状態になった人を助けてくれるという。
ただ、どの「区」なのか?がわからない。
電話でははっきりと教えてくれなかった。

仮に、一時的に宿泊が出来る場所を提供してもらったとしても、
3月末でトランクルームに預けてある荷物は出さなくてはいけない。
2月末までに解約届を出しにいこうと思っている。
その時に、3月分の支払いをしてとにかくどうなるのか?見通しがたたないので、あと1ヶ月だけ
預けるお金は使う事にした。

もう食事代も恐ろしい事になってきている。
カプセルホテルは今月末まで宿泊する予定。それだけでも最低1万円はかかる。
今、バックパックの中に大事に入れて持ちあるいている1万円。

これがなくなるのだ。

女性の為の相談センターというのは、
今から20年前、私が娘と元夫から逃げる為に初めて身を隠す事の出来た場所。
あの人達がいなかったら、私と娘は今頃どうなっていたかわからない。
そのセンターが日本全国にある事は知っていた。
そして、まさか私が再びそこへ相談へ行く事になろうとは
想像もしていなかった。
なぜなら、逃げる理由がもう無いと思っていたからだ。

DV法も無かった時代に、私が幼い子供を連れて逃げる事になった時に
それは戦後からずっとある施設。
24時間誰かが必ずいて、親族ですら入れない場所だ。
私はそこをシェルターと呼んでいた。

つい最近、区役所で生活保護の申請の話題を出した時に窓口に出てきた男性は
知らなかったわけが無い。
私がホームレスと知って、他の区役所へ行ってみる事を勧めたのだ。
私が、DV被害者では無いという事が原因なのかと私は思い込んでいた。

電話相談の女性が言うには、相談に行ったら空いている所を探してくれるのでホームレス状態ではなく
暖かい所で眠って下さいねと。
女性は、男性と違って簡易宿泊所に行かなくても良いのだと。

「.................」



ひどい。
あの時に知っていたら、また方向も気持ちもここまで追い詰められる事は無かったのに。
追い返しただけではなく、知っている情報すら教えないのが役所。

20年前から、私はその「役所」仕事をする人間が大嫌いだ。

それこそ、私達が必死で無理に無理を重ねて働き払っている税金で決められた仕事さえしていれば
給料、ボーナスが保証されているじゃない。

生活保護のお金も、同じ税金から賄われているけど
毎月12、3万弱のお金を頂いたとして、それが仮に1年続いたとしても
これまでの私の人生で倍以上の税金は納めたはずだ。

そして、ひどい役所人間にも私の税金の一部が使われて払われているのだと思うと
ちゃんと仕事してもらいたいと言いたい!!

今すぐにでも、行くべき窓口だと思うけれど
1度お世話になる事になれば、しばらくは出る事が自由に出来なくなる。
電話も出来ない。
勿論PCも。

今日に至るまでの時代の流れで、何も変わっていなければ、そのはず。

私のようにDVでは無い理由で保護される場合でも、PC持ってそこで
wifiがあるわけは無いので、使えない重い塊となる。

多分、預けて下さいって言われると思う。

ただ、申告だから私が黙っていればわからない。
プライベートがぎっしりと詰まったものなので、出来れば手放したくない。
ネットに繋がらなくても、犬くんの写真くらいは見て、心を落ち着けたい。

誰も私に力なんて貸さないと思い込んで、毎日落胆し、
道を歩く時も、気づいたらいつも下を向いて歩いていた。
重いバックパックを背負っているから背中も自然と曲がってしまった?

3月1日に私は覚悟を決めて「区」役所へ再度行き、
窓口は違うけれど、その日中に、空いているシェルターへ一旦は寝泊まりが出来るはず。

娘は、そんな事をしている母を可哀想な人だと思うだろう。
そして、この距離がいつの日か縮まらなくなってしまわない事を祈りたい。

自立する事が私の目標。
自分で仕事をして家を借りて。

あぁ、また昨日のショックが思い浮かぶ。
仮に、今手助けしてもらっても
生活保護を受ける事になったら、
障害者に更に重くのしかかるわけだ。

もう、まともな賃貸での暮らしは叶わないという事。
犬くんとの暮らしを断つ他ないという事。

10日程したら、犬くんは再び動物病院へ行かなくてはいけない。
娘は連れていってくれるだろうか。 私が連れて行っていたところは安い賃貸マンションのワンルーム
家賃くらいの金額を1回連れていくたびに払わなくてはいけない。

私のこの状態で支払い能力があるわけでは無い。

娘の家から歩いて連れていける病院がある。
そこへ連れて行って、娘に犬くんのことを頼む他ないのだ。
娘が、犬くんのために食事を毎日作ってあげれるとは考え難い。
24H留守の時は、どうしよう、、、、
もう、またそれを考えると絶望的になる。

私ではなく、犬くんの残された人生をどうか笑顔と健康で守ってあげたい。

一難去って、また一難。

誰かに必要とされる事で人は生きられる

カプセルホテルの中はもうとっくに金曜だ。

 

日付が変わっても、寝てる人もいれば私のように起きている人。

 

ドライヤーの音も聴こえてくる。

 

カプセルホテルに泊まった事が無い娘が、「蜂の巣みたいなんでしょう?」って言った。そうね。蜂の巣みたいだよね。

 

外国人なみに、私もこの日本の文化?カルチャーは面白いと思っていた。

 

でも観光で行った先で行くのと、

私のようにホームレス状態で来るのとは全く違う、、、

 

危機しか感じない。

 

シェアハウス?

ソーシャルアパートメント?

 

どこかに紛れ込む他ないように思う。

 

賃貸の家が借りれないなら。

 

こんなブログ、誰も見てないだろうから

良かったら来ます?なんて、ドラマみたいな流れにならない事は

よーーーーーーーく理解してるけど。

 

私の人生なんか、こんなものです。

 

思って歩く道歩く道が崩れて消える。

崖から落ちる。

自分から崖を落ちる道を選んだのか、

選ぶ道が間違ったのか、

迷子なのか、

どこを選んで歩いても、崖から落ちる人生なのか、

 

そう、きっと生まれてくるべき存在では無かったという事。