"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレス日記)

ヘイト

ヘイトスピーチ ヘイトデモ この言葉はごく最近になってじゃないかな。TVとかネットでも耳にしたり目にするようになったのは。

 

日本語に直して言わずに、英語なの? 造語?それすら考えるのが面倒に私は思う。

 

個人的には、「在日」という単語は、差別では無いと思う。

在日●●●●人とか。

 

だから?って思う。

 

隠語でも無いと思う。

 

日本人が違う国へ行けば、そこで人種差別の経験を1度や2度は受ける経験をすると思う。

国レベルで招待を受けて行くような日本の総理大臣でさえ、言葉を発したら

それについて、ああでも無い、こうでも無いと言われるのだ。

 

人種差別は、受けた人が皆、同じいやな気持ちになるはず。

家へ帰っても家の中にいても、気持ちは同じだと思う。

自分が生まれた国、自分の体の中で動いてる血までもを変えるわけにいかないのだ。

 

「主要先進7カ国」の中に日本が入っている事すら忘れてしまう程、

シビアな人種差別は今でも、受けた事はあるし、今でもある。

人種の違いについて、差別をする人はどこの国にもいるし、

差別を頭に置かない人や一生無関係の人は、どこの国でどこの国の人とでも良い関係でいられる。

 

日本で暮らしていて、日本人!と人種差別を受ける事はなくても、

それ以外の事で、他人と違っていれば、その差別が襲ってくるわけで、

人の暮らしに、比較は無くならないんじゃないかな。

 

日本で暮らす、国籍は違うけれど生まれも育ちも日本の人の立場になると、

なんで差別されるの。って気持ちはわかる。

でも、自分がどこで暮らすか、誰と暮らしていたいのか?

そっちのほうが大事だと思うんだよね。

 

仮に、自分の体に流れている血の国籍について差別される別の国の人に対して、

嫌悪だけ持って暮らすなんて、不健康すぎる。

その姿を見て育つ子供達は、その国が嫌いになるかもしれない。

 

移民の多い国へ行っても日本人が差別されるという事について、

悩んだ事もあったけれど、

「なんで?」って事を考えるのをやめたら、気持ちが楽になった。

 

私の力でこんな人種差別をなくそう!と立ち上がる事は、良くなる事も

あれば、悪くなる事もあると思った。

 

生きていて、疑問を持たない暮らしってとても実は大変。

疑問だらけだから。

何で?どうして?

日常の中に、そう思う事はいっぱいある。

 

でも、そういう何で?をなくして、周りが何と言っていようが、

自分が生きている事、歩いている事、食べる事、

その中で、楽しい、嬉しい、面白い、って感じる事だけをみつけたほうが

楽になれるし、周囲にも理解されやすいって思う。

 

同じ単語、言葉を聞いて、見て、皆が同じように受け取るという事は皆無だと

私は思ってる。 

 

"Hate"という単語を英語圏の人が使うのと、英語を母国語としていない人が

ヘイトと使うのは、目にみえない矛盾、漠然とした空間を感じる。