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"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚した女のその後の人生

道が見えない

20年前。

DV夫にモラハラファミリーの中に、5歳だった娘を置いて来れなかった。

 

今思えば、それは私のエゴだったのかな。

将来的に考えれば娘が必要だったのは、愛情なんかじゃなくてお金だったのかな。

何で、

私はその事にもっと早く気付かなかったんだろうか。

 

愛情が欲しくて欲しくてたまらない人生の私には、

娘に、全身全力で愛情を注ぐのが当たり前だと思い込んで信じ込んできて。

 

愛情なんか何の役にもたたない。

 

こんなに自分の命なんかよりも大事な娘を苦しめて、

それでもまだ私は、これからの自分の人生に幸せを探そうとするのだろうか。

 

もう終わらせたほうが?

私は、娘を産めた事、育てる過程を見れたこと。

一緒の家で暮らせてきた事。

 

それだけで、十分幸せだったと思うべきなんだろうか。

 

娘はもう私の存在がなくても生きていけるんだから。

私が何が何でも生きて自立していなくてはいけない理由なんかに

何でこだわった?

 

縁が切れてしまうくらいなら、不本意だけれど

仕事もやめて、生活保護を受けて、囲われた中で何の楽しみもなく、

家族同様以上に一緒にいてくれたチワワとも離れて暮らし、

死ぬのをじっと待つべきなんだろうか。

 

40代で、自然死するのをただ待つ日々ってどんなだろうか。