"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産申請中←今ココ)

生きる知恵のある人、そうでは無い人。

【 #スマホで朝生 】あす21時からインターネットテレビ局AbemaTVで、豊田真由子小西洋之雨宮処凛池澤あやか、落合陽一、パックン、藤原和博、牧野正幸、米良はるか、堀江貴文田原総一朗の各氏が“AI時代の幸福論”を展開!あなたの人生観が変わるかも?! #AbemaTV


Twitterを普段から使っている人やFacebookを普段から見ている人であれば、目にしているだろう。
ホームレス状態や飢餓状態にある人間が、Abema TVが何なのか?を知っている人がどのくらいいる?

もはや、ネットが無い生活が考えられない今の時代に
必ずしや、支えている人ばかりじゃないとはなぜ時代を戻しては考えられないのだろう。

私は、ITやネットに興味を持った事で幸いな50代なのかもしれない。

お金がなくても、まだ今のところ、PCやスマホを手放していない50代だ。
無料のwi-fiさえあれば、どこかで使う事が出来る事を知っていたのも幸いだ。

初めて私がPCを持った時に、コンセントにさせばインターネットに繋がると信じていたあの20年前。

それから時代がこれほど変化していても、あの時のままで止まっている人が
いる事をどうか誰かがどこかで、覚えていてほしい。

誰もが、時代についていけないと生きられないなんてナンセンスだ。

生活保護についても、受給できた人がもっともっと公に具体的にする事で、
死なずにすんだ人達も多くなるのでは無いだろうか。

日本ではその最後の砦の生活保護制度自体が、死んでる。

働く事が出来て、自分でお金を得る事の出来る人達は救いだ。

お金がなくても、ゼロからでもお金を生む事の出来る知恵のある人、生きようと思える人達は救われる。

どうやって、いったい何を、どこに、誰に救いを求めたら良いのか?が日本では公にはなってこない。

不正に受給した人ばかりがクローズアップされてしまうから。


ちなみに、簡単には生活保護を不正に受給なんかできないから!

簡単に不正ができる人は、生きる知恵のある人達。

反貧困ネットワークを作り、寄付を慕うのに、
家がない人に、場所を提供して、
その敷金にあたるお金を分割にして払ってもらうなど、精神的に
「負」が背中に覆いかぶさるだろう。

正直、私にはその団体だけではなく、他にも多くのホームレスや無職、精神に疾病を持つ人を助けるための
団体を調べた。

公に貸付の出来る場所で、家を失う前に相談した。
それまでに6ヶ月以上、同じ場所で仕事が出来ていたかどうか?の証明を出さないと貸付してもらえない。

いや、ちょっとまって。

6ヶ月以上、つまり1年の半分以上、同じ職場で給料をもらう事のできる人であったなら、
貸付してもらわないし、家を失ったりしないから!

同じところで働けずに、お金を失い、家をも失ってしまいそうにある人達に
何て、くだらないナンセンスなルールなんだ??

24時間生テレビで、お互いに意見を言い合いしてくれてどうもありがとうだ。

TV番組をつくるには、構成作家さんもいて、ディレクターもいる。
プロデューサーがokを出せば、番組は放送される。

なぜ、台本があると思う?

なぜ、田原聡一郎さんは24時間生テレビになったら出てくると思う?

汚い世界で、汚いお金をもらって生きている人達にしか思えない私の心はもうどん底にまで
来てしまったのだろうか?

いや、冷静に考えてもテレビの裏側を知ってる人であれば、わざわざ夜中に見ないはず。


日本を救いたい、誰かを助けたいともし本当に思うのであれば、
テレビ朝日から出るギャラを、どうか家を失ってしまった人にばらまいてごらん?

働いた人だけが受ける事のできる対価。

つまり、働けない人は手にする事の出来ない対価だ。

そもそも、働けない事=ダメ になる社会を作ったのは日本人の誰が最初に言った言葉なのか、

「働かざる者、食うべからし」


いや、もうこのままの呪文を数百年に渡って引き継いでいるのだからもはや、最初に言った人は凄いよね。

そして、そのとおり働けない者は家を失い、お金を失い、食べ物を失い、
時代の変化にもついていけず、病になり、孤独に苛まれ、死を待つのみ??

あまりにも、負の連鎖が悲しくて、こうして文字にしている私が、まさにそのど真ん中にいる事を
忘れてしまいそうになる。

私は、あさってに、仕事のために面接を受ける予定だが、
自信なんかさっぱりない。

仮に、採用になったとしてもだ。

仕事が出来るような状況にないと言う事を認めたくないだけ。

Aという自分をBという自分にして演じるだけ。

それがいったいいつまで続ける事ができるのか??わからないさ。

誰も救ってはくれない。
なぜなら、
自分で歩かないと、助けてはもらえないから。

自分で歩ける人だけが、「助けて」と言っても良いよと公に言われている社会なのだから。