"私の裁判"

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京都新聞

headlines.yahoo.co.jp

京都の教育委員会について京都新聞が記事を書いてるのを読んだ。



あー、またですかぃ!
私の子供が京都で学校に通っていた短い期間の時に、事件は起きていたでしょーに!

名前なんか忘れたけど、京都新聞の原稿を書く人にわざわざメールを送って相談したら
詳しく話を聞かせてほしいと言われて、どこだったかまで行って話しをしましたとも。

散々、話を聞いて是非記事にしましょうと言っていたくせに、
数日したら、すみません、記事に出来ませんでした。と
メールがさらっときて、我が家と京都府委員会との"事件"は終わった。


"京都"という街は、観光地である事は有名だけれど、
"盆地"でもある。

"盆地"という土地柄なのか、"御所"がある名残からなのか、

"密"に事が行われたり、暗黙の了解で"悪"がさらっと行われていたりする。



この記事を読む限りでは、教員の運が悪かったとしか思えない。


私や私の子供が"事件"に巻き込まれた時は、 

知った人全てが、それは酷いと言ったにも関わらず、"公"にしない事が暗黙の了解で進んだ。


"校区" とか、"学区"は、時に、それが人の人生を大きく左右する事がある。

私と私の子供は、

あえて、その良しとされていた"校区"で暮らしていた。


当時、京都市が実験的に幼稚園から高校までをエスカレーターで。を、
スタートをし始めていた"学区"だった。


教師達、校長は、フンズリ帰っていたのを思い出す。


なぜなら、公立の学区でありながら、

バカな親達は住民票を移動させてまで、
こぞって、「どうかうちの子供をこの校区の公立卒業にしたい」と 願い続けるような場所だったから。


私学のように、「通わせてやってる」的な錯覚があったかもしれない。

今になればいろいろ見えてくる事もある。


教育委員会とそういう所の校長は、間違いなく癒着してる。

悪い意味でも、良い意味でも。


保護者の力を切り抜けられた無かった教員の味方はしない。

今回のようにバッサリと切り捨てだ。


うまく校長に取り入っていれば、校長を経て教育委員会は全力で守ってくれる。


私の子供が被害にあった"事件"では後者になったと言える。


京都では、背の高いビルが建つと言えば仏教界が。

道を広げるとなれば、"建築土木業界が" 

"教員から暴力(性被害含)を受けた子供がいる" "子供がイジメに" "学校内のセクハラ、パワハラ" が騒ぎ出せば、"教育委員会"が。


生粋京都人は家へ他人を入れない。

極力用事のある身内だけにとどまる。


京都の町家と呼ばれる家を見ると、その風情?をモノ表しているように理解がいく。


まるで、忍者屋敷のような町家では昔の京都をそっくりと世代を超えて残してると思う。


今回のようなニュースを知ると、
今も、さほど変わらないとは思う。

そして、その記事を書いた"京都新聞"にも、"京都人"の息がかかっている事をどうかお忘れなく。


県外や府外、道外、日本の首都ですら京都の見えない部分は見ないのが、日本人にとっては都合が良いのかもしれない。