"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレス日記)

ごめんなさい

"神さまごめんなさい、今日もまだ生きてます。"

今朝はいつもの図書館からでは無い。

図書館が2Fにあってその真下にある椅子。

なぜか?

そんな場所で図書館と同じWi-fiをひろってくれたので使わせてもらってる。


無料と言っても、私の立場からは無料だけれどこれもこの「区」の税金で賄われているのだよね。


私も一応「区民」だけれど、最後に税金を払ったのはいつだっけ。


区民税を滞納しているわけで、申し訳ない気持ち。



病院には通院しなくちゃいけないので国民保険料だけは借金して納めた記憶。


多分、
その税金がこの無料Wi-Fiに使われているとは思えないのでやっぱり私は"ごめんなさい"の人間なのだ。



生きてるだけで申し訳無い気持ち。

道を歩いているだけで申し訳ないと思う気持ち。

息を吸ってしまう自分が嫌だ。

喘息用の吸入を息苦しくてつい吸ってしまう自分が大嫌いだ。


何で、意識してでも吸入を吸わずにそのまま息苦しくなって死んじゃわないかな。


喘息のお薬や皮膚がかゆくてたまらないので飲まなくてはいけないお薬を病院へ行っていないので、手元には

吸入だけがわずかに残ってる。



昔、「テレサテン」という香港から日本へ来て歌手をしていた女性がいた。

その女性の最期には、色々な説があったが一番、心に残っているのは

たった一人で、喘息の発作が出て苦しくて喉を掻きむしって血だらけで穴があきそうな程だったとニュースで見たのを

思い出す。


"喘息"


私が1歳からこんな50歳になっても持病としてつきあってきた病気だ。


"気管支炎喘息"
という言葉はもう珍しくはなくなったが、"喘息"というものを

気持ち悪いと言われた事が私がまだ子供だった頃にはあった。


私が喘息で苦しいにも関わらず、私の母は真横でタバコを吸うような女性だった。

私は、タバコの臭いも煙も大嫌いだった。

母は、絵に描いたような悪女だったように思う。

子供を横にタバコをふかし、麻雀を朝までしているような人だった。


毎日麻雀をしていたわけでは無かったけれど、私はそんな母の後ろでお尻の辺りでうつらうつらと眠った記憶が何度も何度もある。

パチンコへ行く時にも連れて行かれたが、うるさくタバコ臭く咳が出る嫌いな場所だった記憶しかない。

競馬場?あれも嫌いだった。

母はお金が無かったのに、時々そんなお金があったのだろうか?どうやって今考えればそのお金が手に入ったのだろうか?



私の母を恋しいと思う分、死ぬほど恨んでる。


もう会わなくても良い人だし、距離も離れていて、今の私の年齢の頃には病気ばかりで入退院を繰り返し、

今でも同じだと風の噂で聞いた。

幸せな人生だったとは言えない。


母は、私を産んだ事を物凄く幸せだったと言っていたわりに私は絵に描いたように不幸な人生を幼い頃から

過ごしてきた。


母は、父が不倫をしている事に仕返しをするかのように他の男性との不倫をしていた。

子供を真横に寝かせて他の男性と寝るような無神経な人だった。

母にはいつもどんな時も男性が不可欠だった。


両親が離婚してから、半年を待つかのように違う男性と再婚した。

その男性から私は12歳から18歳まで性虐待を繰り返された。 虐待?暴力?

"助けて" と母に頼んだ事があった。

 "我慢しなさい。 学校へ行けなくなってもいいの? 感謝しなさい" 


母は、再婚してから更にエスカレートするように頭がおかしくなっていったように思う。

時には宗教にはまり、私にも押し付けるような言動もあったがその頃には無視が出来た。


再婚相手から逃げるように、私はまだ中学生だった弟や小学生の時からいつも一緒にいてくれた犬くんを置いて

一人暮らしを始めた。


後ろ髪を引かれる想いよりも、逃げ出したい。 

その気持ちが勝っていた事に罪悪感しか今では無い。


結局、私のそばでいつも助けてくれた犬くんは母の再婚相手の犬きらいのせいで、チワワなのに

外で飼われていた事もあって私が出ていったあと、亡くなった事を母から聞いた。



母は、私が出ていったあと再婚相手に追い出されるように弟と二人で違う場所へ出た。


弟や母への仕送りが始まった。

学校へ行きながらバイト、バイト代の半分以上を母へ渡していた。


私は、知り合いの家を転々としながら何とか食いつないでいた。


思い出そうとしても、鮮明に思い出せない部分もある。


ただ、妄想でも幻覚でも無いという事は母の再婚相手からの虐待、性虐待だけだ。

一生あいつの顔を忘れたくても忘れない。

憎くて殺してしまおうかと思った事もあった。


私が19歳の時、のちに娘の父親となる人と出会い結婚した。

若かった。今思えばままごとだ。 好きというよりも守られている気持ちになったのが今でも不思議だ。


その守られていると思えた唯一の人に、数年間も暴力を受ける事になったのだから。

30歳までの間が長かった。娘をとにかく一生懸命に愛する事だけを考えていた。


私が両親からしてもらいたかった事、全てを娘にしたかった。

タバコは絶対に吸わない。お酒も飲めないからこれは良し。ギャンブルは見るのも嫌だった。


TVで競馬中継をしていたら、消した。


私の人生、虫さんよりも小さくちっぽけで、虚しい。


虫けらという言葉はダメだ。


なぜなら、"虫"も、命があるから。 彼らもまた一生懸命に生きてるんだろうから。


ごめんなさい、神様。

私みたいな人間が生きて、何の罪も無い人が亡くなったり、殺されたり、動物や生き物がこの世から消されてしまう。


本当に本当にごめんなさい。