"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレス日記)

私に選択肢など無い。

私は、こうやって文章を書いている時、
自分を客観的に見ているのか、ただ思い出して話をしているのかがわかりません。


でも、どれも全てが私の身の上に起きている現実である事は確かだと言えるだけです。


人の「親切」を真に受けてしまいます。


そして、傷つく事がほぼ私の人生の大半においておきた事です。


傷つく事はもう慣れています。


娘が、LINEに書いてあった事で気になった事がありました。

私は娘のことを警察に聞かれても、病院で聞かれても、区役所で聞かれても、彼女は悪くないといいます。


でも、彼女が他人に甘い人間だ、親を捨てるなんてなんてひどいんだと彼女の選択した人生を否定されることを望んではいません。




娘は、自分は他人に否定されることに慣れていると書いてありました。何とも思わないと。



私は、娘が幼い頃から褒めて褒めて、認めて信じて彼女を育ててきました。


もしかすると、その事で、他人に否定される事がどれほど苦しかっただろうか?

とても、反省しました。


私は、娘が命に関わる事、彼女が将来困るであろうと想定内にある事だけについては、反対し、その理由を話しました。


それでも娘がそっちへ進もうとした時には手段を選ばず、彼女がそっちへ行かないよう道を作った事が数える程度ですが
ありました。


でも成人してからは、彼女の人生に私が道を作る事は間違ってると思って育ててきたので、

あとは、彼女の信じる道をただ見守る、それが私のできる事で役割だと信じて疑っていませんでした。




彼女は、TV局で働き、ADからディレクターになりチーフディレクターやプロデューサーへの道が約束された環境の中にいて、数年間の間に人が変わってしまいました。

もともと、純粋で優しい子です。


想像以上の、ブラックな中で慢性的に寝不足な生活と仕事を続け、他人をそれまで以上に信用できなくなり


否定されては、自分でも自分を否定する事になれっこになっていたのかもしれません。


それなのに、私は娘を褒め続け、肯定し、見守ってだけいました。


彼女の作る番組を毎日毎日楽しみに録画しては観ていました。


無神経にも程がありました。




何で、娘のそのキャリアを私はもっと早い段階で潰さなかったのでしょうか?

もしかしたら、命に関わる事だったかもしれないのに。




しかも昨日です。

今頃になって娘のその言葉で私は、深く反省し後悔しました。


そうかと。



人には向き、不向きもあるでしょう。

娘は、どんな事でもやって出来てしまうわけです。

だからいかに自分に厳しく無理をしているのかを

私はわかっても、他人にはわからないかもしれません。


もっともっと、もっともっと頑張らなくてはいけない。


彼女は真面目できっと毎日、自分に言い聞かせ、周囲の人達とも言い合いになる事もなく、調和を保ち、仕事をこなし、
生きていけるタイプです。

だからこそ、「違う」「イヤだ」が言えず、頑張った結果がなのでしょう。


「ママが私の人生を無茶苦茶にした」


この言葉は、娘のただの甘えた言葉だと誰が聞いても思うでしょう。

私も実際、そう思った事がありました。


でも、まんざら間違っていないかもしれません。




私は、親戚もいない娘がいつの日か、私がいなくても一人でも生きていけるようにと、強い女性となって

頑張って生きてほしいと願って育ててきました。


その事が裏目に出てしまったのです。




娘は、もっともっと甘えて弱い自分を見せてよかったのに。


幼い頃から、いつも頑張って、いつも周囲に気遣いをもち、調和を保って、仕事も16歳からあっというまにこなしてしまう。

そういう娘が私は自慢でした。



本心や希望は決してそうじゃなかったはずなのに。



娘の心の中では、もっともっと甘えて弱い自分を見せたくて、それを見せられるのはだけだったのだ。



今更です、今やっと頭ではなく、体に彼女の声が入ってきたのです。


犬くんについても、娘についても、

私は最低な存在です。




きのう、私は、彼女にひどい事を言ってしまいました。

「いつも自分本意やね」と。



いや、違う。

自分本意なのは、「私」なのです。




私の信じて疑わなかった子育ての方法も、成人した娘への配慮も、犬くんの将来のことも、

どれもこれも、自分のエゴだったと、思います。



娘は、昨日書いていました。

「どれもママのエゴでしょう」と。



そのとおりだと今日は思います。



犬くんに会いたい、娘にどんなに謝っても、私は会う資格なんか無いのです。



そして、犬くんの最期を看取ることが出来ないのは、私が受ける報いです。




大事な人、大事な存在の人を見送ることを出来ないのは、これが私の人生そのものの結果です。


恨まれるべき人間なのです。




もう生きる意味なんか、何もありません。

理由もありません。

自殺というのは、愛する娘と犬くんに100%迷惑がかかります。


どうやったら、迷惑をかけずにこの命を終わらせることができるのか。


殺されたらいいの?

車に飛び込むと、車を運転してる人に迷惑で事故として解決されないかもしれない。

誰にも見つからない山に入り込んで、ただ餓えと疲労で死ぬのを待つ?

それは自殺だけれど、娘に迷惑をかけないのであればそれも良いのか。。。


どうか、誰も見つけないでほしい。


それでも今は生きていなくてはいけないよね、悲しいけど。



6月からどうなるのか?想像がつきません。

DVシェルターでの生活経験があるのはまだ娘が幼かった頃で、都内でもありませんでした。




少し今朝聞いた話だと、見ず知らずの人と同じ部屋で、カーテンで仕切られただけの1部屋に間違えば24時間一緒にいるわけです。



綺麗なタワマンなわけでもなく、ドアがあるわけでも、バストイレが綺麗なわけでもありません。





ただ、雨風がしのげて誰かに蹴られるということがなくなるであろうことは言える。
有り難く、そこへ入る他に選択肢はないのです。

自由?そんなものを今は望む私は立場ではありません。




PCが使えないどころか、スマホも預けなくてはいけません。

昼間は、私はシェルターに滞在したいかどうか?


したくないだろうけど、しばらくは外出も出来ないかもしれないです。



想像ができません。



私がまだ幼かった娘とDVシェルターにいた時とは、時代も場所もシチュエーションも全く今は違うので。



何らかの訳がある人だから、シェルターとか女性だけの簡易宿泊に滞在するわけです。




気づけば、今年の夏が終わってるかもしれないです。



エアコンがガンガンの部屋だとは99%考えにくいです。




公園で夏に外で寝るほうが涼しいかもしれないけど、それには危険も伴います。


日本は安全だと思うけれど、心ない人もいることも確かです。



誰も私を守ってはくれないし、それを求めるのも間違いです。


自分の身を自分で守らないと。


喉が渇いたり、お腹がすくことに腹がたつ。


飢餓に私がなれるだろうか?

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