"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産申請中←今ココ)

ホームレスの人と話すという事

他人とは、人の不幸が好きなのだと子供の頃から漠然と思って生きてたように思う。

今日は、私の書いた文章を少しだけ読み返してみたんだ。


私の心が、ど貧困


片足(半身以上かもしれない)突っ込んでいる事に気づいた。



自分が心から恥ずかしい。



私は、先日亀田興毅さんとボクシングで対戦して勝ったら1000万円というチャレンジをした一人の人のYou tube(動画)を観た。



その人がいったい普段、どんな動画を作ってきたのか、

普段の本来の彼はどんな人なのか?という事を見ようともしなかった。




そして、


もう1つは、私の住む都内でホームレスになってしまった人の為に


スープを作っているという人達の動画を観た。




それらの動画を全て見れたわけでは無いが、全く、別の環境で、全く行動も考え方も違うけれど、

が眩しいくらいに純粋で綺麗なんだ。




行動自体が、間違ってるかどうかではなくて、自分がこうしてみようとか、実体験してみようと思う事を

丁寧に、そして自分の人生も大事にしていると感じられる人ばかりだった。




私は、そういう大事な事を忘れかけていたと心から反省した。





自分の事に余裕が無くなって、気づけば環境はホームレス。

他人に、酷い言葉をふっかけられる事が多くなっていた。

時には、ベンチや公園で眠ってしまいそうになった時に、叩かれたり、蹴られたりもした。






そんな事を繰り返して日々を過ごしてきた結果、私自身が心が汚くなってしまっていたように思えた。


だけどね、
それは、本当は違うってわかったんだ。


誰かのせいにしたり、何かのせいにして、自己防衛をしていただけだ。


誰かに無理やりホームレスにされたんじゃないって事と、こんなになってしまった私を

助けようと手を差し出してくれる人が、この地球にいるって事。


東京なんかに未練もなく、お金があったら今すぐにでもこんな汚い街から出て行きたいと今朝までは思っていたように思う。



だけど、そんな風に誰に対しても自己防衛線を張って生きていたら、今よりももっともっと孤独になって

自分自身が疲れてクタクタになって、私自身が他人に対して同じ事を言ってしまったり、思ってしまう人間に

なってしまうのでは無いか?



そんな自分になりたいと思わないし、思えない。


メリットなんか考えずに誰かの為に、喜んでもらえる事は何なのか?そんな事を常に自然に出来るような

そんな人に私はなりたいと思っていたはずだ。


いつから、こんなに他人を毛嫌いしてしまうようになったのだろう。


ホームレスだろうと、住む家があろうが、大邸宅だろうと、簡易宿泊所の1畳だろうと、


人間らしい暮らしを送れるという事。


人としての自信や、自分の持つ知識を、シェア出来る事が何よりも大事だって思う。



こうして、今私は幸運な事に、

カプセルホテルの中でインターネットというもので世界中につながっているが、


これが、wi-fiも無く、PCの使い方がわからない、本を読む環境へも行けないとしたら?

文字が読めない環境だとしたら?


体が弱って、精神的にも弱っている人が目の前にいるとしたら?


体は動くけれど、目が見えないとしたら?

目は見えるけど、耳が聴こえないとしたら?


人生全てに疲れていて、生きる気力を失っていたら?


どれも、他人事では無い。



いつ、自分がそこへ当てはまってしまうかもわからない事なのだよね?


つまり、自分が出来る事や知ってる事、苦しみも笑いも喜びもシェアしても良いんじゃないだろうか?


言論の自由があるように、住む場所も選んでいいんだと 元総理大臣だった鳩山さんがTweetに書いておられた。



人が人らしく、そして皆平等に持って生まれたものは、「自由」なんだという事。



今日は、昨日よりも学ぶ事が多かった。


私は、無宗教だけれど、もし神様がいるなら

お礼を言いたい。


私が最低な人間になってしまう前に、こんな経験や想いをさせてもらえた事に感謝したい。


純粋な気持ちは、お金では買えないんだね。


お金があっても、心の貧乏な人は山ほどいるんだ。


だから、自分がどうなりたいかが大事なんだね。