"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレス日記)

うまく伝えられなくてごめんなさい

今日は雨(都内)

そして贅沢にもカフェに滞在し、またも無料wi-fiを使わせて頂いてこれを書いてます(最低でも5時間滞在する為の言い訳)


ひつこいようですが、ホームレスなので、

時間の余裕が今はたっぷりあるのですが、

正直、精神的には余裕らしきものは限りなくゼロ

に近く、地に足のつかない暮らしがこの先もしばらくは続きそうです。





ただ、こんな私でも、6m上にわずかなが見えてきている事は救いだと思っています。

なぜ、今頭の中に6m上という言葉や数字が出てきたのかと言うと

数日前に見た映画で、11th/Sep/2001に起きた、

Nycのテロの事件(実話)を映画(タイトルは忘れてしまいました)として撮影した作品を観たからです。





その中で2名の警官が救助に向かったビルの下に落ち、体の上にコンクリートなどの重いものが覆って身動きが取れず、

その場にいた同僚達との会話などを聞いていて、

ふと今の自分の状況を重ねて考えてしまいました。




勿論、私の今の状況は、あの時、あの日に瓦礫の下敷きになって出られなかった彼らの苦しみとは

比較にならないものです。


ただ、今の私はに重いものが体や頭の上にのしかかっていて、

自分の力だけで抜け出す事は難しいと認めるまでに、あまりにも時間がかかってしまいました。

やっと??

自分だけのとか根性とか気合いで抜け出す事は難しいのだと

認めなくては前へ進めないと思える道がありました。




沢山の重みで動けない私の姿を

観た人も、観ていない人も、観ない振りをした人も沢山います。



私を助けようとしてロープを差し出した人。


私を助けようとしてロープを見せただけで立ち去った人。


私を助けたいけれど、ロープを持っていないと言った人。


私を助ける事は出来ないと断言して立ち去った人。


私を助けたいけれど、ロープは持っていない。

だけど誰かが来るまで言葉で励ましますと言ってくれた人。


私を観て、上から私の顔にツバを吐いてから立ち去った人。


私が身動き取れないと確認した上で、

「身動き出来るようにして欲しかったら条件を飲め」と言った人。




困っている人を見て、条件付でなければ手を貸せないのであれば

見放して立ち去ったら良いと思います。



(私も含めて)ホームレスになったには、人それぞれ理由があるという事は理解されます。


ただ、それがどんな事情であれ、手を貸す人は、


貸してほしいと願う人を、自分の杓子定規で物事の善悪を捉え、考え、動き、

枠の中に入れてしまおうと無意識にしてしまうのでは無いかと思います。



結果的には手を貸された人の為には良くないし、

貸そうとして頑張っている人の気持ちも、かき乱す事が起きる事が考えられます。


仮に、かき乱されても、


怒らない、

悲しまない、

苦しまない、

途中で放り出さない、


こんな事が出来る器や大らかでいられる人、誰よりも人を助ける自信があるのであれば、

手を差し伸べる事を見返りなど求めずに、自分の出来る事からヘルプをして良いのでは無いでしょうか。



ホームレスの私が言うのはおかしな話ですが、

自分と同じ思いや境遇にある人達と出会う事があったならば、見て見ぬふりで立ち去る事は

出来ないかもしれません。

そして、ボランティアをしようとは思いません。



世の中には、生活保護ケースワーカーで「人」として力を貸そうと一生懸命頑張っている人が沢山います。

残念ながら、大半は四角四面なお役所仕事しか出来ない職員が多いという事は日本そのものが

何百年という年月が過ぎても、変わらないのだと思っています。


今は私も含めてですが、ホームレスになった理由。

これは、人それぞれかもしれませんが、

生きていく知恵の無い人が私のようになってしまったのかもしれません。


ただ、それを育った環境、障害、社会や、政治の仕組み、それらのせいにしたところで、

ホームレス生活に実際になった事が無い人達に、どれだけ食いついて説明しても

自分は理解はされないと考えた方が楽です。



インターネットを使い続けられるホームレスなんて、ごく稀です。

私はそのごく稀な暮らしをしているわけです。

ホームレスの人や生活保護受給の必要な人の為のボランティアやNPOなど、

数え切れない程あります。

その中で、イラっとした事がありました。


ホームレスになってその日どこで眠れば良いか、その時食べるものが無い、

公園で怖い思いを何度もしていて助けてもらえないか、

いつ電話が止まってしまってもおかしくない状況である事。

ある団体に電話で相談をした事がありました。


その電話に出た男性は、言いました。

「今、誰も詳しくわかる人がここにいないので、明日もう一度電話をかけてもらえませんか」と。





勿論、その団体には電話をしていません。


「助けてほしい」という声が届く場所で、


「今」助けられないのであれば何らかの役割を持つべきじゃないと思います。





産まれたての赤ちゃんは、ホームレスになろうと思って産まれてはいないところから人生が始まっています。


産まれたての赤ちゃんは親も育つ環境も選ぶ事は出来ません。




そして、生きるうえで何が大事、何が必要、それらの価値観も生れ育った環境の中で育つ事になるでしょう。




今の私は、生活保護を受給する方向ではなく、自分の力で生活を立て直そうと考えています。

ホームレスにならなかったらわからなかった事がいっぱいあります。

価値観や考え方、人としての思考、何もかもが変化している事に自分自身で気づく事が多くなっています。



これまで生き辛いと思った事ばかりでしたが、

今の想いは、これまで味わった事なんか、米粒レベルの辛さだったのかもしれません。


そして、「女」として、ホームレスで生きていく事が

どれほどの困難が襲うか?


支援する人であっても、

カプセルホテル

実態すら見た事が無い、泊まった事がない、

生活保護の申請に行った事が無い、外で寝た事が無い、

勿論、見ず知らずの人に蹴られたり罵られるなどの経験はまず無いでしょう。



わからないものばかりだからこそ、「気の毒」に見えるのかもしれません。



具体的に、何を助けてほしいと思うものなのか?


ホームレスになったとしても、何を必要としているかは人によって違います。

想像や、福祉などの勉強をしてきたテキスト頭で、現実的な事を理解しろというのも、

無理な話だと思いました。





先進国の中でも福祉のイメージがわかない人の多さは、日本がダントツだと思います。

ボランティアがそもそも何なのか?も。


人が人に手を貸すという事の意味の重さや、大切さなど。



穴に落ちてしまった人に、

ロープをチラつかせて結果的にロープは渡さない。

そんな日本の国に私はうんざりしました。


日本の国に住み、日本人として生きている事自体、うんざりです。


今後、私が働き得るお金を日本のために使いたいかどうか?


日本で困っている人の為に使うかどうか?


私は、これからどこで暮らしても、何をしてお金を得る事になるか、未定な事ばかりです。



私が本当に困って倒れている頭の上からコンクリートブロックを落とし、

倒れたところを蹴り、前が見えなくなる程、殴り、暴言を吐いて行った人達に対して

今後どうするかは、模索中です。



ただのホームレスで一生を終わろうとは思っていません。

彼らの顔を忘れる事は無いでしょう。

彼らがこれからも福祉、人助けの看板を掲げて歩いている事を見過ごしてはいけない事は確かです。



今後の私の為ではなく、私のような思いをする人がいなくなってほしいという想いからそう考えています。


私が経験した事が役立たないなんて

これまでの時間を無かった事にするのと同じです。


私は、人助けのNPOや、ボランティア団体を作る気持ちはありません。

多くの人の賛同と寄付が無いと、人助けが出来ないのであればそれもしたいとは思いません。



困っている人が望んでいる事なのかどうか??

勿論、もらえるならどんなお金でも構わないと思っている人もいるかもしれません。


お腹が減り過ぎて、食べ物を盗む時代でも無いのに
私は、お腹が減り、何度も食べ物を盗む夢を見ました。

盗んだ食べ物を持ち去って、さあ食べようと思うと、その食べ物は腐っていたり

カビがはえていたり。そんな夢をこれまで見た事もありませんでした。


その日、飲み食べするものが無い、

家が無い、そんな人がどれほどいっぱいいるのかをまずは同じ島にいるのだから

日本国内で知るべきだし、目をあけて見るべきだと思います。



助ける、助けられないを、個々で考えればいいだけです。


私は今日に至るまでに、いろいろな方々に相談をしてきました。


人それぞれな方法で私を助けようとしてくれたと思います。

お金を渡す事だけが感謝になり、私が歩けた事には至りません。

これは、綺麗事ではありません。



生き続けようと思える言葉や、その人の大事な時間を頂いた事、自分の話を一生懸命に聞いて下さった方。

「女性が外で寝るのはダメ」だと言って下さった元ホームレスの方。

食べていないと話をしたら、

いついつ「食べにおいで」「来たらいい」

ただただ笑顔で声をかけて下さった方。


食べ物を頂ける事よりも、私と会話をして下さった方のその言葉や時間に

どれほど感謝して涙を出しながら歩いた事も忘れる事はありません。



これまでならあたりまえのように感じていた「親切」な行為や言葉が

今の私の命を繋げてくれていると思っています。


今日、私は人身事故に遭遇しました。

人が電車のフロントガラスにあたりガラスが割れました。

夜になった今も、この衝撃が頭から今も離れません。


私の人生の中でも初めての経験です。


「生きる」事は、奇跡に近く大変な事だと思います。

生きていく知恵がないと、人は一人だけで生きていけないのです。


私の書く文章は、わかりにくいかもしれません。

物事を完結に話せないし、書けないのでもどかしくなります。

伝えるという事程、難しい事はありません。

ただ、

私のしている経験を無駄にしたくない。忘れたくない。

今は、この気持ちだけを綺麗に整理して頭の中に保存しておこうと思っています。

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