"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産申請中←今ココ)

結婚記念日を思い出せない

色々と書いてここで置いておきたい事があるのですが.....


今日は、今日にちなんだ事を書いてみます。


今日6月17日は、娘のパパさんとの結婚記念日でした。


もういい加減、こういう日を頭の記憶から消してしまいたい。


何で覚えているのだろうか?



元夫の彼と出会ったのは大学へ入学する少し前でした。

そして、私は学生結婚をしたのでした。



元夫が卒業をした翌年に娘は産まれました。








もうこの世で最もと言っても過言では無い人の事や、その周囲にいた家族、親戚など全ての人達を


私の記憶から抹消してしまいたい。



結婚生活をしていた時は、結婚記念日に特別な事があったかどうか??


実は、ここの記憶が一切頭から消えていて記憶が無い。



結婚記念日には余程ひどい目にあっていたのか、痛い思いをしていたのか、全く思い出せない。






私にとって、「結婚」は、地獄の始まりだった。


殴られて蹴られて痛い思いをするのは、よくあった事。


身に何もつけていない状態、裸で逃げた事もあった。

それでも、夫に捕まって連れ戻された事があった。



後に、裁判の陳述の中で夫はこのような行動をした「精神病」と言った事はなぜか覚えてる。


勿論、裁判の中で私が裸で逃げなくてはいけない状況にあった事は元夫側からは一切言わなかった。



離婚する事を決めるまでに、とても長い時間を要した。


そして、離婚が成立したのは家裁調停から高等裁判まで4年後だった。


その離婚が成立した数ヶ月後に、「DV法」が日本にやっと出来た。




皮肉にも、私の裁判が終わってから出来たこの法律。


あれから十数年が過ぎたのにも関わらず、

日本でのDV被害は減るどころか増えてきている。






どれだけ時間が過ぎても、怖かった記憶と経験の時間の記憶は消えない。





あまりの悔しさに涙が止まらず握りこぶしを力一杯握った自分が、

まるで漫画に出てくるような場面のように、私の頭の中で消えない。




誰にも言えなかった。


殴られても、虐げられても、どんなに悲惨な時も、


我慢して、黙って、時間が過ぎる事だけを祈っていた。




不思議なくらい、「自殺」を考えなかった。


娘を連れて、逃げ出す事だけを毎日考えて耐えていたように思う。



DVと言うと、とんでもない環境や、劣悪な暮らしをしていたのか?と思われがち。



私の場合は、周囲から羨ましがられる暮らしだった。


「いい旦那様で羨ましい」

何ひとつ不自由の無い暮らし、悩みなんか無いのでしょうね、と言われて過ごしていた。




言いたかった。

「助けて」と。



私が娘を連れ、家を出るほんの数日前までは、顔を殴られる事は無かった。


体をどれだけ蹴られようと殴られようと火傷をおっても、服を着れば見えないのだ。


夫婦だったから、レイプは通用しない。


長いあいだ、監禁された暮らし。





自分の意思で何も出来ない暮らしを想像できるだろうか。




舅に押さえつけられ、元夫が殴る蹴る。



それを観て、姑はその間、暴言をずっと言い続けて笑う怒る。




断片的だが、声がでなくなるまで泣いていたように思う。









思い出すには、辛い。


思い出さなくても良い事を思い出す。


辛いから忘れたいのに覚えてる。



PTSDが、いつ完治するのか?






突然聴こえたりした大きな音が怖くて異常な程、反応してしまう。


人が機関銃のように何かを話す言葉に、無言になってしまう。





もう忘れたいな。



こうやって文字にしたら、頭の中から消えないかな。