"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産申請中←今ココ)

お金を貰うか貰っていないかの違い

「自分の好きな事を続けたい。」



日常生活の中では上司がいたり、同僚がいたりする。

その日常の中は、恐ろしい程、小さな世界だと感じてる。

私にとって、「ブログ」というものは、

自分の思うことを文字にして残せる、唯一、素でいられる場所だと思っている。




今に始まった事では無いけれど、

文章や想いを書く事でそれに反論する人、共感してくれる人、コメントを残してくれる人、

それは経験している人のほうが多いと思ってる。


日常生活では言葉にして言いたくても言えない場所があまりにも多い。

私は自分の頭の中に想うことを文章にしてみたり、その日に感じた事を文字にして残しておきたいだけ。



家のお隣の人がどんな人なのか?も知らないそんな寂しい暮らしは本意では無い。

会社で世間話一つするのにも、周囲に気を使い、言いたい事も言えず、

そんな暮らしは私にとって、狭い狭い世界にしか思えない。


「ブログ」をどんな場所にしたいのか?は、人によって違うはず。

私には出来そうにないけれど、文章を書いて成立させている人もいれば、

誰かの為になる情報を提供している人もいて、

私のようにただ、その日に感じた事、日常に感じた事、出来事を純粋に書き残している人がいる。


私は、会った事も観たことも無い他人が書いた文章であっても

毎日、楽しく読ませてもらって、そして時には楽しくなったり、嬉しくなったり、

悲しくなる事もある。

そして、「なるほどー。」と思える情報や他人の人生観を読んでは、自分の人生観も見直せる時間になる。


自分と他人を同じ土俵に上げる必要は無いと思ってる。


私はアップルのCEOと同じ人生では無いし、大雨の中でも、木に捕まっている鳥にもなれない。


私は、「私」でいる他ない。


どの世界にも、マナーや暗黙のルールがあるはず。

ネットだから良くて、普段の日常は駄目というルールは無いと私は思ってる。



私のように、ただ静かに自分の日常を文章にしているだけのような存在は、

自分に対して、真逆の考えや意見をぶつけられたとしても、

反論する必要も無ければ、お礼を言う必要も無いと思ってる。



もし、


私が公の場所(お金を頂いて文章を書く)で自身の意見や考えを言うような立場になったとしたら、


それは、他人に言われた言葉を真摯に受け止めるか、無視するか、反論するか。


どの方法を取ったとしても、自他共に、100%の解決にはならない事を自覚した上で


その立場をスタートしなくてはいけないと思っている。



自分に共感してくれる人だけと一緒に過ごす事は、居心地は良い。

でも、共感してくれる人は24時間を共にはしてくれない。

そして、共感してくれる人が一生を自分と共にいるわけでは無いという事。


自分に共感して寄り添ってくれている人達は、自分が「ゼロ」の位置にいても、

どんなステータスになっても共感して寄り添ってくれるのか?というリスクをも知っていなくては駄目だと思ってる。


何が「正」?で、「誤」なのか?

それを求めるような場所では無いという事を心に起きたい。



自分にヤリを投げてくる人もいれば、ハチミツの甘さを持ってきてくれる人もいて、

そういうどんな人に対しても、一定のメンタルで対応が出来るのかどうか?は私にとってブログを私的なもので続けるか

お金を頂いて半公な文章を書く場にするかの目安になってると思う。


今の私では、ただ自分の想いを文章にして健忘録にしているだけなので

何も考えずに書いてしまっている。


極端に言えば、ただの健忘録であるならば

単純に自分のパソコンのノートに残して文章にして保存しておけば?の思いになる。

私の書いている文章は、たった1人の家族の娘には読まれたくないという気持ちが強いのだと思う。

だから、パソコンに残してはいられない。


そして、次に考えてきた事は、

Hatenaのブログに文章を書く前に、アメブロに自分の日々の出来事や想いを書き残してきた流れで

ここにたどり着いた。

Hatenaの発祥地である京都は、私の出身でもある地だから。


これが大きな想い。


何度か?ブログで衣食住を賄いたいという想いがあった事は確かだけれど、

私にはそれが技術的に?(って言うと自分でも笑えるけど)無理みたいだから諦めたんだ。


ただ嬉しい事は、

こんな私の書く文章を見ず知らずの人達が読んで下さっているというこの現実

本当に心から嬉しい。

私の書く文章、日常について、

中には反論のある人、批判的である人、褒めてくださる方。時間を割いて読んでくださる方。

どんな形でも嬉しいと純粋に思う。



何しろ、

私はプロの物書きじゃないのだから。


時間を割いてまで、読んでくださる人がいる。


この現実に私はどれだけ励まされている事だろう。



私はまだ、生活も安定していないし、居候からホームレスになり、ホームレスから

今は、仮?住まいが出来た。


この期間の間に、どれだけの人達に励まされてきただろう。


文章は、私の心を開放してくれる大事な手段。


批判も、褒め言葉も、どちらも私にとってはプレゼントだと思ってる。


インターネットは世界に繋がっているけれど、

私がここに文章を書いているこの場所は、とても狭い世界だと思っている。

小さな世界だからこそ、喜びはとても身近に感じられる。

逆に批判は、他人事に感じられる。 駄目??