"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

「ママのせいで」という言葉

「ママのせい」と言った娘の気持ちを今改めて考えてる。

今から書く文章は、何度かに分けて

自分の想いを書いてみようと思ってる。



私の娘のこの言葉。

この言葉の裏には、色々な意味がある。


「ママはDV男性(パパ)だと気づかず結婚した。」

「ママは私を産んだ。」


「ママは計画もなく離婚した」

「ママはお金持ちにならなかった。」



彼女は、自分が生き辛さを感じているわけで、

その辛い気持ちの裏には、自分の将来も無いと言い切る。

自分のような子供が存在したら、不幸だから

自分は子供を産まない。

結婚をしない。


そう断言している事を、悲しい気持ちでただ無言で聞く他ない親の気持ちは苦しい。




彼女が生きづらいであろうと感じる行動や、言動は

幼い頃に何度もあった。

病院へ連れて行った事もある。
(カウンセリングを受ける以前に、病院中を走って逃げ回ってしまったので通院は諦めた。)


何とかしてあげたい、理解したい、手助けしたい。


これは今でも同じだけれど、

彼女は、親の手を払いのける。

物心ついた頃から彼女は肝心な確信に触れようとするたび、私の手を払い除けてきた。


私は手のかかる子供だったからこそ、可愛いと思えた。

私にとっては私の命なんかよりも大事な命で、

見放す事も、私から離れる事も絶対に無い。

彼女が幼い頃からその気持ちは変わっていない。


ただ、

私が親である事、母親である事、


その事で彼女が傷つき、悲しみ、苦しむのであれば

彼女が私から離れていきたいという想いが強いのであれば、

それは、母親として認めてあげるべきだと思ったし、今もそう思っている。



「自分の人生が底辺なのは、親のせいだ」

と断言している人の言葉を読んで、

私は、「それは違う!」と心の中で考えてとても悲しい気持ちになった。


方法も、環境も何もかも違うだろうが、

子を想い、習い事をさせたに違いない。

お友達を作らせようとした親御さんの気持ちは、

虐待では無い。

子供を苦しめようとしたわけでは無い。

きっと、体(健康)の事を考えて、

スイミングなどにも通わせたのだろうと想像しただけで、

切ない気持ちになる。

(きっと、私が子供の親だから理解出来る事)



自分の子供が孤独に家の中で遊んでいる事よりも、

外へ出て同年齢の子供達と一緒に遊ばせてあげたいと願う親は異常だろうか?



私は、そう思わない。

多くのお友達を作って欲しいと思う親の方が多いはず。


一人遊びが好きな子供。

イコール、発達障害と決定付ける事が30年前の日本で出来ただろうか??


今から30年前の日本では、

主婦が携帯電話もパソコンも持っていなかった時代。



そんな情報が少ない環境の中で、

アスベルガーについて知識があった親の人数が多いとは考えにくい。



今でこそやっとアスペルガーという言葉を知っている人も多いだろう。

でも、それがどんな症状なの?となれば

100%理解出来る人のほうが少ないはずだ。



限られた経済状況の中で、

子供に習い事をさせようとしてくれた親に

優しい気持ちで接してみようと思ってもらえると嬉しいな。


食事も与えてもらえず、

虐待をされて、

監禁状態に近い環境で育ったとしたら、

それは、「親のせいで」と言うべきだと思う。




世の中には、信じられない親がいて、

友達どころか、家から出さずに学校へも行かせず、

虐待の中で暮らしている子供がいるのだから。

私が今こうしている時も必死で過ごしている子供だっているのだから。


自分の子供にとっての、向き、不向き。


それは色々と何かをやらせて観ないことには、わからない事があると思う。

日常の生活の中で、

ある程度は自分の子供が何が好き、どんな事に興味があるか、

こういう色が好きなんだ、音楽はどんな曲調が好きなのね、

日々、変化して、成長していく自分の子供を観て、

私もその時間分だけ成長していく中で、自分の子供に全愛情を注いできたと信じてる。



娘が幼い頃に、お受験させて入れる幼稚園を目指し、今思えばたった2歳くらいの子に

塾へ行かせて、お部屋の中でお絵かきをさせたり、

小さなプレールームでわずかに体を動かす場所へ

一緒に行っていた頃に、まだ2歳だった娘が私に言ったんだ。


「◯◯(娘)は、お外でお砂で遊んだりしたい!」と。



私はその言葉で、それまでの行いは間違っていたと思い、お受験の教室は辞めた。

その後、周囲ではお受験の対策で忙しくしていたお友達と違って、

娘はお外でとにかく体を動かして遊ぶ事が大好きだった。



結局、受験対策をしないままだったけれど、

私が通った大学の付属の幼稚園に、見事合格する事が出来た。

幼稚園に入ってからは、周囲のお子さん達が通うお稽古ごとへ

娘も行かせてはみたものの、どれも本人が嫌がったり、

興味が無さそうで、途中で辞めてしまった。


それでも、親である私は

娘が健康で日々を過ごしてくれてさえいればそれで良しと思うようになった。

(後に、何でもっとママが無理にでも行かせてくれなかったの?と責められた。)



周囲は、小学校受験対策が始まっていたけれど、

当時、娘は、受験に向いていないと私は判断。


ただ1つ、

幼稚園で仲良くなったお友達がいっぱい受験する事が決まっていた

国立小学校だけは娘も受験してみた。

筆記や実技の受験には合格したけれど、最終の親がひく抽選で落ちた。



当時、私学も考えたけれど私はいつか私だけで娘を育てる事になったら

辞めなければいけない事を想像してしまった。
(経済的な理由だけではなく、両親が揃っていないと駄目な学校だった為)

後に、この私の判断で良かったのか悪かったのか?

娘を連れて暴力夫の家から逃げ出した私。

やむを得ず娘は小学校を転校させる他なかった。 


そして、始まった。

それまでの生活と何もかもが違う暮らし。

それまで観てきたお友達とは

かなり違う生活スタイル(一般的な暮らし)の家庭の子供達と

接する事にも、少しずつ慣れてきた矢先、更に逃げきって

ごく普通に道を歩けるようにと、私は決心と覚悟を決めて、


海外へ娘を連れていく事に。



私が娘にしてきた事は、

生き辛いと感じさせる理由を増やす事ばかりだったのだと

考えただけで、消えてしまいたくなる。



子供を愛している事に違いはなく、

子供を想い、少しでも良い日常生活をと想いつづけ、

それでも日々、年々、私の年齢と娘の年齢も止まるわけもなく、

必死で育てていたわりに、ハッと気づいた時には、娘は大人に成長していた。




娘が、自分で決めた進路も、娘が自分で決めてきたアルバイトも、

娘が自分で決めてきた就職先も、

私はどれも反対をした事は無い。


自分なりに出来る事と、応援をしてきたつもり。

見守ってきたつもり。


それでも、娘の

「ママのせいで・・・・・」と言う言葉に、とにかく悲しくなる。


悲しいけれど、娘を観る気持ちの理由として、

彼女は、自分の人生、日々の辛さを誰か(ママ)のせいにする事で

やっとの思いで心のバランスを保っていたのだと思う。
(これは今も同じだと思う)


私は、何を言われて悲しい気持ちになっても構わない。

だから、娘が「ママのせいで・・・」と言う言葉を受け止める。



「自分はクリエイターに向いていない」と言った娘。


それでも周囲は、娘を評価していたわけで・・・・・




この続きは明日にでも書こうと思う・・・・。